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意図を成就させる。

「意図」とは不思議なものである。

意図は簡単に言うと、何かをしたい、やってみたい、そんな素直な願いや想いみたいなものである。多くの人は、意図を持ったとしても、形にするところまでたどり着かないことがほとんどだ。

小さい頃の夢を未だに形にできていない人も多いのではないだろうか。僕自身、英語を使えるようになって、世界中を舞台に働いている、という夢はかなっていない。

でも作品の制作に関しては、この意図にびっくりするくらいに忠実にやるべきことをやってきた。その中で、この「意図」の不思議な構造が見えてきた。それは、意図は成就させると、次の意図が顕れてくる、ということである。

急に俗っぽい話になるが、ホリエモンこと、堀江貴文さんが、「やりたいことはすべてやれ。いますぐやれ。」みたいなことをどこかで話していた気がする。極論に思えるかもしれないが、至極本質的な主張だなと思う。

この「やりたいこと」が僕でいう、「意図」である。それはとにかくやってみることが大事だし、意図は成就させることが大事なのだ。そうすると、次の意図がわいて出てくる。温泉みたいなもので、出すからもっと出てくるのである。出さないと腐るのだ。

それは、情熱がどんどん膨れ上がっていくような感覚と近く、意図を成就させてあげればあげるほど、どんどんその意図はエネルギーを持っていく。

そしていま想像できる意図とは、1手先の意図までなのだ。いくら事前に想像をしても、「創造内容」は常に、「想像内容」と大きく異なっている。意図を持ち、意図を成就させを繰り返していると、発見が繰り返され、気づかぬうちに、ビジョンと呼ばれたり、夢と呼ばれるものに近づいてきている。間違いなく、想像を超える場所迄たどり着いてしまうのだ。

この一連のプロセスを僕は、「創造的なプロセス」と読んでいるし、「創造的に生きる」という言葉の意味として使っている。また、この過程は、聞き手からすると、その人のオーセンティックなストーリーであり、その人にしかない冒険物語になっている。

つまり、創造行為におけるオリジナリティーとは、最初に計画するものでも、目指すものでもなく、結果的にたどり着いてしまう領域のことを指すのではないだろうか。

今この瞬間の創造物のアイディアにオリジナリティーが宿るというよりも、発見の連鎖が群として顕れ、その全体性を踏まえた上で顕れるものが、結果的に独自性を有してしまうのだ。

話が横道にそれてきた。

意図は成就させること。すべて成就させること。そうすると、次の意図が顕れる。それは本当にドキドキする体験であり、あなたを未知なる世界に連れて行ってくれるパートナーでもある。

意図と友達になろう。意図とじゃれあおう。そして、意図に旅に連れて行ってもらおう。それが、創造的に生きるこつ、なのかもしれない。

そんなことを思った。


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芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…

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