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作家になることを諦めてしまった人へ。

アーティストとして生きていると、「私、アーティスト(作家)に憧れていたんです」「でも、私はなれなかったんです。」という人に出会うことがある。

絵かきになりたかった方、もの書きになりたかった方、僕のように新しい表現スタイルを模索したい方。いろいろだが、なぜアーティストになれないと思ったのか、大体皆さん、同じことを言う。

第一に、才能がないんです、という話。第二に、伝えるべきものがないんです、という話。第三に、情熱がないんです、という話。

この話を伺うたびに、作家になる前、同じ悩みを抱えていたことを思い出す。一方、実際に作家になるべく悪戦苦闘して5年が経過し思うのは、この理由のどれも、アーティストになることを諦める理由にはならない、ということ。

冷静に考えると、上記3つの理由はすべて、他者との比較の言葉なのだ。「自分の知っている、あのアーティストと比べると」という枕詞がついている。まったく才能がない人なんていない、伝えるべきものがない人なんていない、情熱がない人なんていない。ただ、「あなたの憧れるあの人」と「自分」を比較し、そう思っているだけなのだ。

もうひとつ、付け加えたいことがある。

それは、アーティストはすべてをなげうち、狂気的に生きなければいけない、という思い込みについて。僕は、もしそういう人を「本業作家」と呼ぶのであれば、「作家的生き方」をする人が増えたらいいと思っている。

一度、自分の中の創造性、また作家性を開放するすべを知ると、アーティストといわなくとも、普段の仕事で、ビジネスで、暮らしで、日常で、作家性を活かして生きることができるようになっていく。

同時に、作家的に生きるところと、そうでないところも、冷静に切り分けることができるようになる。徹底的に自分を消し相手に寄り添うこともあっていいし、徹底的に自分を出すことがあってもいいのだ。

どちらかしかないというのは、人間として不健全だとすら思う。

さきほどの、本業作家の話も、あなたがアーティストになりたい、作品を作りたい、という想いを、資本や評価の奴隷にしないことだ。お金を稼げないから、というのも理由にならない。お金にならなくても、やっていいし、本来、資本の前に、生きるが先にあるのではないか。

だから、お願いだ。アーティストに、本当はなりたい人。作品を作り、人に受け取って欲しい人。その人は、自分の欲求に嘘をつかないでほしい。自分に嘘をついていると、はじめは小さな嘘でも、それが時間が立つと、嘘と本当の区別もつかなくなっていく。

アーティストになるとは、作品が生まれ、それが世に出ることを意味する。逆に言うと、アーティストにならないとは、作品が生まれでないことを意味する。何度も書くけれど、それを資本と評価の奴隷にしないこと。

生まれたがっている何かを閉ざしているのは、他の誰でもないあなた自身なのだ。そんなの悲しすぎる。誰も幸せにならない。お願いだから、自分の欲求に素直に、生まれたがっている何かを世に放ってもらえたら嬉しい。何度も書くけれど、それを資本と評価の奴隷にしないこと。

才能の話をしたが、それが1000万人に届くことはないかもしれないが、一人の人の涙に繋がるかもしれない。でもそれも、出してみないとわからないのだから。

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芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…

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