運動会での爆泣き事件から、個性について考えさせられた。

今日、息子が通う幼稚園の運動会だった。

始まりの演目で、息子だけ、ずーーーーっと爆泣きしていた。理由は運動会が嫌だとか、ママとパパと一緒にいたいとか色々あるだろうけど、一番は運動服を着たくないから…。

その後、息子といても、とにかく「いつものズボンはー」「お家帰って服着替えるー」といい続けている。誰に似たのか、息子は3歳半にして、びっくりするくらいに美意識がある。

彼の中で、「かっこいい」ものと「かっこよくない」ものが明確にあり、とにかく、「かっこよくない」ことはしたくないらしい。ズボンも靴下も上着も、彼が「かっこいい」と思う以外は絶対に着ない。その意味で、運動会の服は、彼の美意識(という言葉は僕の解釈だけど)にまったくもって叶わなかったらしい。しかもそれを無理やり着させられたから(無理やり以外の選択肢はなかった)、とにかく泣き続けていた。

これは、結構考えさせられた。前提として、僕は他の人と一緒である必要がないし、学校も行きたくないなら行かなくていいと思っている。制服も着たくないなら着なくてもいい。ただ、である。やっぱり集団行動も大事だと思うし、他の全員がしっかりと、服装を着て楽しそうにしているの一方で、息子がひとり泣き続けているのを見ると、色々と考えてしまった。

個性的であることはとても大事だし、好きなものと嫌いなものがはっきりしているのも本当に素晴らしいことだと思うけれど、それが実際の学校生活になったときに、色々と悩ましいことが起こる。何より、息子に何かをさせようにも、僕自身が誰かに何かをやれと言われても嫌なものは嫌なのに、息子には無理やりなにかさせる、というのも出来ないなと思ったり。

心の別の場所では、どう転んでも息子は育っていくのだろうな、とは思いつつ、現実問題としては悩みが出てくるなぁと思った。でも最終的には、友達と遊んだり、走り回ったり、虫を見つけてご機嫌になり、服のことは忘れていた(でも、時々、終わったらお着替えするね、とパパと約束確認してた)。

そんな快晴の日曜日の出来事だった。

ここから先は

0字

芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?