光芸術の先人から、「それは、運命づけられていましたね」と言われて。
とうとう、お会いできた。
ずっと探し続けてきた、光芸術の道の先輩。たくさん素晴らしいアーティストはいても、僕の歩むべき道とはどこか違うと感じていた。唯一、僕が芸術の世界に踏み込むきっかけをくれた、光の作家、ジェームズ・タレル氏だけが別だった。
でも、日本にもいた。逢坂卓郎さんという、 日本のライトアート(光の芸術)の第一人者だ。「宇宙芸術 」や「光のコスモロジー」をテーマに、宇宙線の信号がLEDの光に変換される"宇宙線シリーズ"、また皆既月食時に棚田で18個の巨大な鏡が月光を捉える"ルナ-プロジェクト"等の代表作で知られる方だ。またJAXA との共同研究で、宇宙空間での新しい総合芸術作品も作っておられる。
逢坂さんの講演に出会った時、僕は、泣いた。
この映像を見たときから、逢坂さんを「道の大先輩だ」と思っていた。幸いにも、他の芸術の大先輩にご紹介いただけることになった。
でも、ぼくはお会いする直前、ひどく緊張していた。
なんて言われるか、怖かった。その道の第一人者の方に、作品がボロクソに言われるのも怖いし、才能もないのに30代から何も知らずに始められるような甘い世界じゃないと言われるのではと、とにかくびびっていた。
昨日、スタジオを訪問した。
最初に、なぜ逢坂さんに連絡をさせていただいたのか、芸術の道に踏み込むことになったきっかけ、またジェームズ・タレル作品との出会いなどを簡単にお話しした。緊張する僕に、逢坂さんは小さな声で、ポロッと次の一言を話した。
ジェームズ・タレルの作品に独のハノーファーで偶然出会ったこと。この体験は、ぼくの芸術家人生を決めた。彼の作品は啓示的体験だと思っていた。逢坂さんは、ご自身の体験と紐付け、すべてを受け止めてくれた。
その後、逢坂さんが光に導かれた体験、彼自身が啓示的だったという体験について伺った。共通点に、とにかく驚いた。もう、道の先人だった、としかいいようのない感覚だった。
そして、僕が芸術領域に踏み込んで、悩んできたこと(今もその渦中)を打ち明けた。たくさんの言葉を頂いた。金言の連発だった。
1つ目は、アーティストの導かれ方について。逢坂さんは、アーティストには、自身が導かれるための方法のようなものがあるとおっしゃっていた。
ひとりひとり違うけれど、「能動的に、自身が刺激を受ける場所に身を置き続けることが重要」「アーティストは一箇所にいない」、とおっしゃっていた。
アーティストにとっては、やむにやまれず、作品を作らざるを得なくなる「衝動」をいかに育むかが大事という話だった。ライバルの存在、素晴らしい作品からのインスピレーション、また歴史の偉人たちからの影響など、いろいろな方法があるけれど、とにかく刺激を受ける場所に身を置くことが大事とのことだった。
2つ目は、30才から芸術の世界に入ったのは遅いのではないか、という悩みについて。僕はもう36才で、子どももいる。美術・芸術・ものづくりの才能も経験もまったくなかった。なのに、芸術領域に足を踏み入れ、世界でやりたいとかいっている。はたから見たら、中二病の痛い大人である。
そうしたら、「遅いなんてことは本当にない。65歳までは大丈夫」とのことだった。むしろ、過去の経験を話したら、「それは強いですね」という言葉をもらった。いかに違う体験をしてきたことを作品に繋げられるかが大事なのだろうか。
3つ目は、怖さについて。これまで、何も分からない中、無邪気にできることを積み重ねてきた。結果、今進んでいる道の奥に存在した、無限に思える領域を知った。
山の頂上付近から、重力に身を委ね川を下っていたら、いつの間にか川が終わり、海にたどり着いていたような気分だ。
無限の海に溺れる、と言ったらよいだろうか。自由で刺激的でありながら、その壮大さに比して自身のちっぽけさが苦しくなる。歴史的な偉人がいて、才能も努力も尋常でない人たちが現代もひしめく中、その道を歩んでいいのか、才能のない自分がそんなことにトライしていいのか、他者と比較し、とにかく不安になる。何も出来ない自分、存在価値のない自分を突きつけられるのが怖いのだと思う。
その話をしたら、「その怖さは、とてもよく分かるよ。けれど、走り始めたら怖くない。はじめに悩んでいたときよりも。」と言われた。
他にも、今後制作・研究したい内容について相談した。その内容が研究できる研究室をご存知か伺ったら、「正直、そういったテーマを本気でやっている研究室が日本にあるかというと、思いつかない。」「日本では、限界があるかもしれない。」と言われた。ある意味、吹っ切れた。
また、僕が素粒子物理学を学んだ(学部だけど)後、紆余曲折を経て芸術領域に踏み込んだことに、それは、「時代の必然かもしれない」、と言われた。逢坂さんの関心のど真ん中でもあるらしく、とても嬉しい言葉だった。
逢坂さんは、先人たちの作品や歴史について調べた時、ご自身のやろうとしてきたことの前にはたくさんの先人たちがいて、「自分だけじゃなかったんだ、と感じた」「先人たちの存在に勇気づけられた。」とおっしゃっていた。
まさに同じ感覚だった。逢坂さんを通して、人類の一つの探究の流れというか、、、。そんなエネルギーみたいなものに触れさせていただいた感覚だった。その対象の無限さと壮大さに、呆然としてしまう部分もあるだけど、でもどう悩もうと、僕はその世界を生きていくのだろう。
ある種の腹が決まった瞬間だったかもしれない。
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「芸術家として生きる」と決めてからの日々
芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…
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