削ぎ落とした先に残ったもの。
身体が生まれ変わる渦中にいる気がする。きっかけは、2ヶ月前に参加した「生命が美しいとしたら、それは何故か、展」でのパフォーマンスだろう。
企画をご一緒したパフォーマーの方に「何してもいいですよ。委ねます。」といったら、「頭を剃りたいです。」と言われ、人生で初めての坊主にされてしまった。坊主はきっかけに過ぎないが、とかく儀式的な時間だった。
そしていま、これまで一年弱「うけたもう」の精神で足し算で暮らしてきた中、引き算に向かう流れにいる。結果わかったのは、削ぎ落として、削ぎ落として、空っぽに向かうと、何も残らないのではと思っていたけれど、それは間違いだったこと。引き算を重ねると、何もない無があるわけでなく、マグマのように、むしろ形になる前のエネルギーのようなものが溢れてきた。
そうして最後に残ったのは、芸術で世界で活動したいという欲求だった。アーティストになることを決めて4年、こういうエゴみたいなものを何度も捨てきたが、最後には毎回これが出てくるらしい。
どうしようもないほどに、実現したいことなんだなと実感した。芸術で世界で活動したい、には2つの意味が込められている。第一に、世界で常設展ができるようになりたいということ。僕がドイツのジェームズ・タレルの作品で啓示的な感覚を得たように、人々に新しい認知の感覚を届けたい。第二に、芸術を媒介に、知らない文化や価値観の人と対話し、未知の世界に出会いたいということ。
この夢を今の延長上でやっていくのか、非連続的に行うことが必要なのか分からないが、とにかく、もうこの想いが止まらない。どうしたらいいのだろう。そんなことを思う。
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「芸術家として生きる」と決めてからの日々
芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…
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