凹んでいる。悔しさと創造の衝動。
凹んでいる。
6月は猛烈な一ヶ月だった。kodou だけをみても、2つの新しい芸術体験づくりに挑戦。更に1つのイベントと、ブランドムービーの制作。すべてに全身全霊で挑んだ。産みの苦しみに悶絶しながら、もうこれ以上出来ないというくらいに挑戦した。
結果、ひとつの大成功と、ふたつの失敗と、ひとつの引き分け。僕にとって成功とは、出会いたかった美しさに出会えたことを意味する。体験としては、言葉にならない体感覚までたどり着いたことを意味する。
大成功は、本当に嬉しい。しかし、引き分けと失敗は、素直に、凹むし、悔しい。全身全霊で挑んでも、目指す頂きにはたどり着かない。全力でやるからこそ、現実に直面し、課題に打ちひしがれる。
敬愛するロバートフリッツ氏は、著書で次のように語っている。
なぜあなたは何かを創り出すのか。
その何かをこの目で見たいと思うほどの愛があるからだ。
また、次のように語っている。
クリエイターの愛は、対象が存在する前に存在している。
詩は胸がいっぱいになることから始まる。画家は、絵画が存在する前からその絵画を愛している。アーティストが創造プロセスで体験する愛は、状況対応的ではなく、創造的な愛なのだ。
この主張に、150%同意する。
そしてこの意味において、出会いたい美しさに出会えないとは、失恋のようなものなのだろう。出会えると思ったのに、片思いだったのか。自分にはまだ魅力が足りなかったのか、悔しさ、のような感情がこみ上げてくる。
しかし、僕の経験則上、この悔しさは創造のエネルギーに転化する。一度失恋をしたからと言って諦めるのではなく、もう一度自分を高めて挑戦するのだ。
今までを振り返っても、何かを創造するときには、その前に悔しさに打ちひしがれる経験があった。今回もそうなるのだろうか。わからない。ただ、悔しいしし、凹んでいる。
今回直面した課題を、ひとつひとつ解決していった時、あぁ、あのとき失敗して本当に良かった。課題がわかったことで、次に進めたよ、そう思える日が来るのだろうか。
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「芸術家として生きる」と決めてからの日々
芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…
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