普通がわからない
普通、女の子というものは母親から家事を教わるものらしい。それが一般的らしい。
だが私は、母親から家事等を教わった記憶がない。全く無いこともないが、【教育】としてちゃんと教えてもらったことは無い。今思えば、掃除の仕方も料理も、そのほとんどが学校もしくは職場で得たスキルだった。
母親に可愛がられはしたものの、それはただの猫っ可愛がりだった。
母親はいつも、音楽活動に勤しんでいた。
昔から、クラスメイトのお母さんはみんな真面目な人間に見えた。
なぜそう感じたのかは今となってはわからないが、何か雰囲気からしてうちの母親とは違っていた気がする。人として、子を持つ親としての生き方が根本的に違っていたのだと思う。それが、母親にママ友がほとんど居なかった原因だろう。うちの母親は、私の友達のお母様方からはあまり良く思われていなかった。それは当時の友達の発言からも明白であった。
現在一緒に住んでいる、父親の奥さんに言われた。
「君のお母さんは親が子供にするべきことをやってこなかった」
そうだろうなと思った。(あまり良い意味ではなく)「男らしい」と言われてしまう私の有り様が、これまでの母の不始末を物語ってしまっている。
別にだからといって、私自身が掃除炊事が全くできないわけではない。
一人暮らしも経験したし、必要最低限の家事くらいはできる。ただし、お嫁に行くことを考慮した教育はなされていないので、自分が困らない程度の範囲でしかやったことがない。このまま嫁に行ったら、相手方のご両親にはびっくりされてしまうことだろう。自分が「普通になり損ねた」状態であることは、薄々自覚があった。
たとえば、食事を用意する際に箸置きをわざわざ置く必要性を、私は感じない。「そんなお上品にする必要があるのか?」を問うて、「いや、そんな大層な人間でもないんだから必要ないだろ」と思ってしまう。おかずも、よく白米の上に乗っけてどんぶりにしてしまう。
美しい形よりも、洗い物をより少なくするという効率面に偏りがちである。
そういう点でも、私は結婚というものに乗り気にはなれない。どんぶりはとても効率がいいが、人との共同生活でなんでもかんでもどんぶりにするわけにはいかない。
普通ってなんだったんだろう。
親が普通であれば、それを知ることができたのだろうか。
おかずをやたらどんぶりにしてしまう私は下品なのだろうか。もちろん自分ではそうは思わない。とっても効率的だと思っている。食べちゃえばおんなじだし。でも、そういうところがアウトなんじゃないかという気もしている。
手間暇かけて、自分のやりたいことを削ってまで共同生活のために時間を費やさなきゃいけないことが普通なのだとしたら、普通というものは随分ハードルが高いように感じる。