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【読書感想】誰も語らなかったジブリを語ろう。

屁理屈おじさん、大いに語る。

「おやすみシェヘラザード」という漫画で、押井守の事を「屁理屈おじさん」と表現していて、うまいこと言うなぁと思った。
当然だけど、僕も、きっとこの漫画の作者も押井守の事が好きだ。だから、頼まれもしないのに映画や彼の本を読んで、偉そうに「屁理屈ばっかりこねやがって」と悪態をついてしまう。
押井守は宮崎駿、高畑勲とも交流があって、自身も映画監督で、そして理屈をこねるのが好き人だから、事情通の専門家が好きなものを好きなように語ったのがこの本だ。
愛するゆえに「屁理屈おじさん」と僕が悪口を書いたように、彼もまた、愛するゆえにジブリの悪いところを忖度なく語っている。それを知っていると、笑顔でジブリTシャツを着ている本の表紙の絵にもうまい表現をするなぁと思う。
映画をあまり観ない人には「映画ってこういうところに注目するんだ」なんて発見があるし、観てる人には「あの映画の違和感ってこういう事か」って発見がある。そんな本。

映画監督は伊達じゃない!

この本は一章で宮崎駿作品を、二章で高畑勲作品について語っている。三章以降で二人以外の監督と、これからのアニメについて語るけど、最初の二つが内容の大部分を占めている。それぞれの作品の見どころや問題点を語る。
僕がこの本を勧める理由がここにある。見どころや問題点を挙げるだけではなくて、「なぜここが見どころなのか?」、「なぜここが問題なのか?」についても語っているところだ。映画監督の口から語られると説得力がある。自分が好きな作品を、好きな理由がハッキリすることがあった。
全てに納得できたわけでもないし、する必要もないけど、40本近くの作品を作ってきた69歳の男の話は無視するのはもったいないと思う。

元祖オタク、宮崎駿。

押井守の小さな目標、それは、宮崎駿より長生きすること。
当然、愛情の裏返しのセリフなんだけど。ここでも、なぜそこまで愛するのか、なぜ嫌うのかについても理屈を述べている。
映画を観る人とあまり観ない人では宮崎駿の印象は大きく違う気がする。
僕は成人してから映画が好きなったいわゆる「にわか」だ。それ以前の僕の宮崎駿の印象は「優しそうなおじいさん」。その後、改めてジブリ作品を観ていると「もしかしてこのおじいさん、結構なナルシストなんじゃないか?」「ロマンチストなのか?」と印象が変わってきた。
そんな印象を持って読んでいると「やっぱりそうなんだ」とか「そんな一面があるんだ」って思うエピソードが出てくる。
監督への印象が変われば、作品の印象も変わってくる。特定のシーンの印象や腑に落ちなかったところが監督の「人となり」を知る事で新しい発見がある。
それ以外にも、制作秘話っぽいエピソードもあって面白い。関係者と言ってもいいから信憑性も高い。

『口でクソたれる前と後に「サー」と言え!』
映画フルメタル・ジャケットより

高畑勲をクソ呼ばわりする押井守。二章が一番笑った。ちなみに押井守が「サー」と呼ぶのはイギリスで騎士の称号を持つ映画監督リドリー・スコット。
何がどうクソなのかは読んでもらうとして、当時69歳だった彼が、81歳だった高畑勲をクソ呼ばわりする。これだけで笑えるんだけど、そういうには理由があるみたい。昔は、サーつけたいくらいに尊敬していたんだろうけど、そうではなくなった。高畑作品を語る押井守を通してその理由を薄っすらと知る事ができる。要は重要視している事が高畑勲と押井守とでは違っていて、その違いが受け入れられないレベルに達しているからだと思う。
彼らが何を重要視しているかについては本の中で語られていて、それを知るのも楽しかった。

幻の三人目。

宮崎駿、高畑勲以外にも、ジブリ映画の監督をした人は多い。先の二人に比べる印象が薄い。それぞれの作品に触れながら、ジブリのプロデューサーの鈴木敏夫や、重鎮二人が、第三の監督たちにどう影響を与えたのかについても語られる。
「もし自分が映画監督で、ジブリから声がかかったら」なんて妄想をしながら読むと面白いよ。

今だからこそ語れるジブリ。

ジブリの歴史に終止符が打たれた今だからこそ語りがいのあるジブリ作品。
押井守は他の本で「映画は語る事によって存在できる」と言っていた。
誰もがジブリの新作を楽しみにしていた時代と違い、辛口の批評をしても誰も気にしにない時代になってきた。今までもろ手を挙げて喜んでいた作品に少し冷静な批評をしてみるにはいい時期で、いい本だと思う。
映画全体の理解が深まり、かつ笑える。用語や人物の注釈もついてるので映画に明るくなくても読める。
押井守にはクリント・イーストウッドみたいにずっと映画を撮り続けて、死ぬまで屁理屈をこねてほしいと思える本でした。面白かった。オススメです。

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