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映画『TOVE/トーベ』

「もしも世界がムーミン谷だったなら」

「○○で有名な(人名)の伝記映画」で、○○の誕生秘話じゃなくて、その人を通して世界を語るタイプの映画。
これ以外だと「エセルとアーネスト」が好き。

この映画ちょっと不思議な感じしませんか?
誰もけんかしない。言い合いはあるけど、衝突って程じゃない。
世界全体がちょっと穏やかに感じる。​

でも映画が始まる1944年は、ヨーロッパは同性愛は病気、犯罪扱いで逮捕されちゃう時代。
当然ヴィヴィカとの恋愛は禁断の恋。
アトスとの不倫も、妻が大目に見てたってだけで、社会的に許されてるわけでもない。
戦後すぐにトーヴェは一人暮らしを始めて、DIYしてるけど、戦争の恐怖で絵が描けなかった時期もある。
にもかかわらず、この映画ではそういう描写は観られなかった。
でもこれは製作者が不勉強ってわけじゃないよね。意図的な事だと思う。

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これはヘルシンキじゃないけど、1944年当時のフィンランドの町。
ドイツ軍の焦土作戦によって、町はズタズタ。
防空壕から出たトーヴェの目に映る光景と、
彼女が語るムーミン谷の設定は、真逆と言ってもいい。
「実際はそうじゃないけど、そうあってほしい」そんな世界。
僕はこれを伝記映画じゃなくて、ファンタジー映画じゃないかって思ってるんだ。
それが「もしこの世界がムーミン谷だったら」って事。

漫画家でも何でも、キャラクターに自分や友人を投影するのはよく聞く話。
このムーミンに至ってはほぼ全員に元ネタの人がいる。
「ポスターが素敵だ」と言う人もそれを知ってるからだよね。
トーヴェ一家は当然、ムーミン一家だ。

ここでの注意点は、日本でやってるアニメは原作とは違うって事だ。
僕らにとってのムーミンは、大体がアニメだと思う。僕もちゃんと見たことないけど、
思い浮かべるのはアニメ絵。でもこいつらは関係ない。

トーヴェ自身はいくつものキャラクターに自己投影させてる。
ムーミン以外にもミィもそう。お金を稼ぐ事ばかり考えてるスニフもそうかもね。

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ここでさっきの同性愛の話に戻るんだけど、
実際は、隠れてヴィヴィカと付き合ってたから
「愛してる」「会いたい」なんて言葉は、外では言えない。
だから暗号のような言葉を使って愛を語る。
二人だけの秘密の言葉。トフスランとビフスラン。
スナフキンはアトス、これは有名だね。
劇中で緑の帽子をかぶって、政治活動で忙しくあまり会えないアトス。
同じく緑の帽子をかぶり、放浪癖のあるスナフキン。

ほぼすべての登場人物がムーミン谷のキャラクターで、何がしたいのかってことだけど、「この世界でどう生きるか?」じゃないかな。
戦後の激動の中、トーヴェ自身にも大きな変化があった時期を、ムーミン谷の雰囲気で描いてる。
この映画の不思議さは「許し」からきてるんじゃないかな?

トーヴェはムーミンを「臆病でいつも不安がっている」と説明した。
もちろん自分の事。でもトーヴェは自分を押し殺してるわけじゃない。
ヴィヴィカの浮気には、ダンスで激情を表してるし、
父の絵に対するお節介にも行動で抗議している。
特にこの父親との絵のやり取りは面白い。
父親はトーヴェの才能を認めている。だからコンペに勝てるように「煙草を吸う娘」を展示しないように助言する。お節介だけどね。
トーヴェは現実でも自画像を多く残してる。その原因は自分に正直にありたい気持ちの表れじゃないかな?
展示しないほうが賢いのかもしれない。でもタバコを吸う自分は実在する。だから展示する。
でも言葉を荒げない。荒げるのは自己評価の時だけ。
この映画はトーヴェが自分自身を発見して、許していく物語でもある。

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「トーヴェとアトスの最後のやり取りは切ない」

この世界の住人は現実では許されていないことを許してる。
同性愛は現代では問題ないとしても、不倫、浮気は依然として問題だ。
特にアトスとの婚約に関してトーヴェはかなり身勝手だ。
アトスに念を押されたのにもかかわらず、当てつけのように婚約する。
で、結局うまくいかない。
「幸せじゃないのかい?」とアトスに聞かれ、
「ごめんなさい」と正直に話すトーヴェ。
彼らは実際は結婚してなかったので、結婚生活が嫌なわけではない。
ヴィヴィカにより強くひかれているだけ。
アトスはトーヴェの肩を抱き、彼女の身勝手を許した。

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「舞台の成功、芸術の中心地パリでの再会」

映画の時間は8年後のパリに飛ぶ。
現実のパリはこの当時まだ同性愛を認めていない。
でもこの世界では同性愛のメッカとして、
そして純粋芸術の中心地として存在している。

トーヴェは8年後のパリでヴィヴィカの龍と例えた自由奔放さを許し、解放する。
自分がアトスにそうしてもらったように。
そして自分自身の芸術性も許した。

実際は映画の時代の前にトーヴェはパリで生活している。
でも映画ではパリを怖がっているように見える。
これは自分の芸術に納得がいっていないからじゃないかな?
彼女はアトスに許され、ヴィヴィカを許したことで、
自分自身も許すことができた。
よくある言い方をすれば、自己肯定感を持てた。

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「トゥーティッキの元ネタはトゥーリッキ」

物語の終盤、おしゃまさんの元ネタとなるトゥーリッキと出会う。
ムーミンを終わらせる。ムーミンの冬の話は、彼女の助言がヒントになってるんだって。
ムーミンの完結後、トーヴェは大人向けの小説を中心に書く。
また、彼女は油絵を描き始める。タイトルは「新たなる旅立ち」
自分を肯定したことで、新しいスタート切ったって事なのかもね。

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「原作ムーミンのラストと映画のラスト」

ムーミンの最後の小説にはムーミン一家は出てこない。
ムーミンの家に他の住人が集まり、ムーミンたちの事を思い出す。
個性的な6人の住人は衝突を繰り返し、折り合いをつけていく。
誰かを屈服させるのではなく、違いを認めて「許し」てあげる。

この映画はこの世界での、勿論僕たちのいる現代も含めて、
「人を許してあげる事の大切さ」を描いてる。

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