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無神映画「桐島、部活やめるってよ」ネタバレ 考察 役割 解説。

「神は死んだ」

哲学者ニーチェの言葉。※1
雑に言えば、絶対的な価値観が無くなった って事。
それはキリストでも、仏でも、迷信でもいい。
無条件に信じれるモノが無くなると人は混乱する。
アイドルのスキャンダルでファンが狂う様に、
カースト上位がいなくなると取り巻きは うろたえる。

桐島は万能

誰がそう桐島を評してた。で、バレー部で嫌ってる奴がいたって話。
桐島=神なら、万能なのは当たり前。
僕達は迷信を嫌い、信仰より科学を選んだ。現代に神の居場所はない。
だから桐島は出てこない。

この映画はいわゆる陽キャや陰キャ、文化部や体育会系ってグループに分かれてる。
でもそれとは別にグループ分けできる。「桐島への依存度」って枠組みで。

リベロ桐島の消失

桐島の消失で一番パニクってるのは、彼女のリサとバレーボール部員だ。
バレーでは強いリベロを守護神に例えるし、あの慌てぶりも分かる。
突然彼氏が消えれば、困るのは当然。

次、糞デカ宏樹の彼女のサナも慌てる。
「お前黙れや」と思ったのは僕だけじゃないはずだ。
媚び売ったり、キス見せつけたり、恫喝したり、こいつ何がしたいん?

サナは例えるなら、キリスト教が力を持ってた頃の悪徳司祭だ。
権力に取り入り甘い汁を吸う。だから神が消えると困る。なので代用品を探す。それが宏樹。

既に神の代用品を持ってる生徒達の困惑度はリサらと比べ低い。
目立ってるのは映画部の前田と吹奏楽部の沢島。
この二人の共通点は、淡い恋心の悲しい結末だ。

カオスが極まる。

UNISON SQUARE GARDENの曲名。
二人の恋は哀れに終わる。
バド部のカスミは彼氏持ち。暇つぶしに話しただけ。
宏樹はキスでマーキングされてる。

失恋によって二人はより部活に打ち込み始める。
屋上でのゾンビシーンで二人の生き様がシンクロする。

前田は言う「自分の映画と好きな映画がつながってる気がする」
撮ってるのは学園ゾンビ映画。好きなのはロメロのゾンビ映画。※2
桐島の消失でこれまでの学園の秩序が崩壊する。
陰キャゾンビが陽キャに襲い掛かる。つまりカオスだ。
ロメロの映画は、混沌とする世界に人間が取り残されるって終わり方をする。前田の映画もちょっと似てる。
どうやらゾンビに囲まれて女子を抱いた男子がセリフを吐いて終わるようで、それが
「戦おう、ここが俺たちの世界だ。俺たちはこの世界で生きていかなきゃいけない」って随分とタフな内容だ。
このカオスと戦う姿勢は他の生徒にも見られる。
それはニーチェの超人思想って考えに似てる。

リベロにデカさはいらない。

桐島の後にリベロになった風助は正直チビだ。
でもリベロはブロックしたりしないので、身長が低くても努力次第で戦える。しかし、万能桐島の後継は荷が重く、彼は泣き出してしまう。
「俺は頑張ったってこんなもんなんだよ!」

人は神にはなれない、でもその穴は自分で埋めなければならない。
「これまでの価値観を超えて、自分自身で新しい価値を創造する者」をニーチェは超人と呼んだ。
奇跡や天国に頼らず、自分の人生に価値を見出す考え方。
そうすると、失恋後の前田、沢島はそれをやってる。
多分、野球部の先輩もそうだ。
失恋前の二人、風助以外のバレー部員、リササナは他人を拠り所にしようとしてるのでやってない。
で、どっちつかずなのが宏樹だ。

ウドの大木か、寄られる大樹か?

デカい、イケメン、野球部、バスケ上手い。特に欠点の無い宏樹は桐島の後釜に座れそう。
事実、沢島は彼を探し求め、サナは横取りされまいと必死。
でも、宏樹はどっちつかずの状態だ。
野球に打ち込むでなし、サナを大切にするわけでもない。
何がしたいかも、何ができるかもよく分かってない。
このままじゃ良くない気がするだけの毎日。

そんな彼の前に現れるのが野球部の先輩と失恋後の前田。
この二人の将来は明るくない。
ドラフト指名なんてされてないし、監督なんて無理そうだし。
それでも彼らは野球と映画に必死だ。
なんで?

無神論が国教。

日本はクリスマスを祝い、火葬するけど、どれも信じてない。
にわか無神論者が多そうだ。別にそれはいい。
その割に他人を神にし過ぎだと思う。
日本だと「神」は既に修飾語になってる。「神曲、神回」なんかがそう。
それを作った人は自分で新しい価値を創造した人だから超人って言える。
でもそれを崇めても自分の価値は変わらない。
ぼんやりとした日常が続く。

宏樹と前田は8mmカメラについて話す。
「汚いし不便だ」と映画部員は言う。
覗いだ宏樹も「たしかに汚い」と同意する。
「うるせぇ」と前田が反抗する。
前田にとって8㎜フィルムで撮影する映画が超人への切符だ。
沢島は吹奏楽だ。
宏樹は桐島に電話しながら野球部の練習を眺める。
今更、再開してもいい結果は得られないかもしれない。
でも神なき世界で戦う姿勢が、死んだ様生きる日々から脱出法なのかもしれない。

備忘録

※1
神や伝統、魂、などの外部的な理由で自分の行動を決めるのが神の死ぬ前の世界。例えば、嘘をつくと地獄に落ちるからつかない等。
その地獄とかそう言う規定が無くなると価値基準が無くなり虚無主義になるっていうのがニーチェの考えで、宏樹は虚無感に悩んでるように見える。

※2
ロメロの映画はゾンビが現代を生きる人間の生き写しとして描かれてる。
ドーンオブザデッドではショッピングモールに群がるゾンビが現実の人間の
生き写しとして登場させる。生存者もそこ拠点として依存していく。
劇中でゾンビがモールに集まるのは、生前の大切な場所だったからだと推測する。なのでゾンビ=人間。
モールに依存し消費社会や商業主義の奴隷になってると揶揄する。
つまり、桐島に依存していた人間こそがゾンビでいなくなるとフラフラする。それをゾンビ役のオタクが人間役のゾンビを食い殺すって妙な設定になってる。これもカオス感がある。


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