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自分の家族が苦手だ。

タイトル通り、本当に私は最低な人間である。

でもやっぱり私は自分の家族が苦手なのだ。

去年の10月。母方の祖母が亡くなった。
私は中学生ぶりに母の実家である九州へ行った。
家族も父以外久しぶりに集合した。

そして2-3日、何年ぶりだろう、家族で過ごした。
そこでやっと気づいた。
ああ居心地が悪い と。

昔から家族が同級生だったら仲良くないだろうなとは思っていた。その理由の一つとして、母・姉・妹と私はみんな血液型が違う。
だから仲良くないんだ。少し苦手なんだ。
と思っていた。
自分が家族のことが苦手だという事実を認めたくなかったんだと思う。

実際は、私は家族のことが苦手というか、あまり好きではない。
姉も昔から苦手で、妹も自由人で見てて疲れる。
母は苦手な部分が多いが、育ててくれた恩があるので苦手だと認めたくない、、でもステレオタイプの人間なのですごく話すと息苦しい。

現在、離職中でフリーターな私。
ついさっき母からLINEが来た。
「ずっと続けられる仕事を、実家に戻り公務員試験を受けろ」と。
きっとずっと1人で寂しいんだろう。
実家に帰ってもいいが、母との二人暮らしは荷が重い。きっと私はしんどくなる。
なぜ昔から私だけが我慢するのだろう、
姉は、大学進学後、母との不仲で途中から家に帰ってこなくなった。
妹は少し問題児で大学受験に失敗、浪人すると思いきや外国への留学を勝手に決め、知らない間に外国へ旅だった。
私は出来損ないだったので、家から通える大学へ通った。母の機嫌を損ねないよう、毎日遅くない時間に帰宅した。たとえ大阪へ遊びに行っても宿泊はせず、全て日帰りで帰っていた。
というか宿泊などしたら、母が怒るを知っていたからだ。常に母に怒られないように、隠れながら生きてきた。

私ばかり母の機嫌を取って生きてきた。
欲しいものも内緒で自分で買った。
買ったと知られないように引き出しに隠して。
中・高校生時代、アイドル(SKE48)になりたかった。内緒で履歴書を送ったり、内緒で学校の後に劇場公演を見に行った。そしてバレないように、塾が終わる時間には帰宅した。
大学時代、アナウンサーにどうしてもなりたかった。東京のアナウンススクールにどうしても通いたかった。週に一度、大学の授業を受けた後に新幹線で東京へ向かい、アナウンススクールの授業を受け、最終の新幹線で帰っていた。

きっと母になりたい!通いたい!と言っても
止められたはずだから。認めてくれないと思ったから。心配をかけたくなかったから。

ずっとずっと自分がやりたいことを隠して、自分でできる範囲で叶えてきた。
社会人になって一人暮らしを始め、やっと解放された。何時に帰っても、アイドルのライブに通い詰めても、ちょっと高い服を買っても、誰にも干渉されない。母に隠し事をしなくてすんだ。

自分でもここまで書いて何が言いたいかわからなくなってきた。
家族は選べない、母も嫌いにはなれない、
実家に戻ってもいいっちゃいい。
でものんびりする言い訳に母を使いそうで嫌だ。

どうしたらいいのか自分でもわからない

私の人生だ、心配してくれるのはわかる
自分が母親ならきっと自分の子供に同じことをするかもしれない、
でも私は期待して欲しくない
友人はもっと自由に生きてるのに
妹なんてもっともっと自由に生きてるのに
なぜ私だけ
もう期待しないで
出来損ないだから
姉でもなく妹ではなく、なぜ私だけ
もう期待しないで欲しい
育ててくれたのに、期待はずれでごめんね


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