溢れる生産力を世界がどの様に受け止めるのかというお話:ピークアウトする中国
2010年前後の中国に住んでいた人間はまだ自由にTwitterが使えたということもあり、弱いながらもつながりを持っていた人間が多い。本書の著者である高口康太さんともSNS上ではつながりがあり、実際に何回かお会いしたこともある。当時はまだKINBRICKS NOWという中国情報を発信するサイトを運営されていた頃だったはずだ。
高口さんはすっかりジャーナリストとしてご活躍をされて忙しいし、自分も中国関係から離れてもう10年経つということでリアルでの接点はないが、出版されている本は応援の意味もあって全て買っている。今回は梶谷懐先生との共著ということもあり、楽しみにしていた一冊だった。
今回は本当っぽい中国悲観論と世界一のグリーンビジネス
自分がまだ中国にいた頃から、いわゆる中国悲観論は定期的にネットメディアで取り上げられていた。意味のわからないことをやっている国だと言うこともあるだろうし、今まで自分が見ていたはずの国が気がついたら、自分たちより上になってしまったと言う悔しさもあるだろう。
実際の中国経済は、多少の調整割りつつもそういった悲観論を吹き飛ばしてずっと成長続けてきていた。確かに自分が中国にいた頃のように10%の成長はもはや望めないが、それでも数字上は5%前後の経済成長を維持している。一時はこのまま進めばいずれアメリカを抜いて、世界第一の経済大国になるんじゃないかと言われていた。
その中国経済が本格的におかしくなってるといわれ始めたのは、おそらく1年 ほど前だろう。経済発展の原動力だった不動産開発事業がうまくいかなくなったり、大手デベロッパーが破綻したりしたということで、世界でも中国の異変に気づく人が増えてきた。
一方でTikTokやWeChatに見られるようにいまだにIT企業は成長し続けているし、電気自動車や太陽光パネルといったグリーン関係のビジネスでは、もはや中国は圧倒的な世界一になっている。こういったちぐはぐな状態のどこを取るかで、中国の経済状況の理解は大きく変わってくる。
そういったわけで、中国の経済情報の報道はポジショントークも含めてかなり両極端に触れているのが現在だと思う。
巨大市場と「殺到する経済」が生み出す巨大な生産力
その両極端とも言える事象を、実際の事例に紐付けながらわかりやすく説明をしようとするのが本書の試みだ。端的に行ってしまえばその両極端の状況も、巨大な生産力が国内の需要をはるかに超えていることにより説明がつくというのが本書の主張となる。
そしてそれは、自分が中国にいた頃に感じたことともうまくマッチしているのだ。
自分が中国にいた頃にまず最初に感じたのは、やはり自国市場が大きいと言うのは凄まじいメリットだと言うことだった。単純に価格が一緒だとすれば、シェアが同じでも中国と日本では売り上げが10倍異なってくる。
生産設備の投資だけではなく、ITといった知的産業においても研究投資は必要であり、そのためにはまとまった金額がやはり必要になる。市場が大きければそれだけ大きな金額を得ることができて、その金額を再投資することで 事業は成長する。この極めて当たり前の構造を支えるのは、やはり自国の市場なのだ。韓国や台湾といった輸出を前提とした経済成長もあるが、同一のルール・同一の文化でビジネスができる単一市場はやはり強い。
そしてそのメリットは、生産側にも同様に聞いてくる。既に実質労働人口の減少が始まっているとは言え中国はまだ10億人以上の人口を持つ国だ。しかも中国と言う国は、少なくとも2010年代までは強烈な成長意欲を持った人々が多くいた。
そういった人々が自分たちの生活を改善するために、遮二無二に働くのだからそこには巨大な生産力が存在すると言える。しかも彼らは一度そのの市場が儲かるとわかると、文字通り全員が殺到してくるので、凄まじい数の企業が雨後のたけのこのように発生してくる。
振り返ればきっと日本も太平洋戦争後なんかはそういう時代があったのだろうし、自分が知ってるだけでもグルーポンのように共同購買サービスが乱立した時代があった。中国の場合は人口が多くスピードが速いだけに、その集積度が凄まじくなってしまうということなのだろう。
問題はわかっても、処方箋はそこにあるのか?
問題はそこで生み出される巨大な生産力を受け取るだけの需要が中国国内にはないと言うことだというのが、簡単に言えば本書の主張になる。さらに中国では社会保障が十分に整備されていないと言うこともあり、一度未来への希望が失われてしまうと、急速にデフレマインドになってしまうと言うことも本書では触れられている。
日本国内では、中国と言う国はまだまだ不思議な国だと思われているところがあるが、トップ層の人材のレベルの高さは日本の比ではないというのが自分の感覚で、当然経済を運営する官僚たちにも凄まじく優秀な人材が揃っている。
しかし同時に、彼らも中国国内で活動する以上は国としてのメンタルモデルや、現場の制度の中でしか処方箋を描くことができない。あまりに方向性が違う”正しい”答えを出したとしても、それは評価されず、自分の利益にならないからだ。そうなると本書で描かれた問題が現状の原因だとするとなると、中国の不景気は相当長く続く可能性がある。
そしてあの国では、不景気と社会体制の不安定化は直結している。
本書は中国問題に関する専門家が書いたということで、決して過度な悲観論や不安を立てるような1冊ではない。しかし論理的に考えていけば、本書の先にある未来というのは、決して希望の持てるものではないと言うことも、おそらく書いている2人が1番理解していただと思う。
人生の相当の期間を中国で暮らした人間としては、何とかうまくソフトランディングしてほしいなぁと思う気持ちがある。一方で、彼らがどうやってこの事態を乗り切るのかを野次馬的に見てみたいと言う気持ちもまたあったりする。