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蝦夷錦 一. 戦国期の北海道 小説
小説『蝦夷錦』15世紀から16世紀の渡島(北海道)を舞台に生きる人々の物語。和人の視点で物語が進みます。気になったときに改訂しています。
序章 一.
はるか昔に海が割れ、大陸と土続きだった時代に西から渡ってきた者たち。
いつの頃からか
”和人”
そう呼ばれた者たちは、東へ、さらに東へと進んでいった。
都の大将軍・阿倍比羅夫が海を越え”渡島”の地に、足を踏み入れてから八百年。渡島には 日ノ本、唐子、渡党 の
"蝦夷"
と呼ばれた、三つの集団が暮らしていた。土地や交易を巡り和人と蝦夷との諍いが起こりはじめたのは、鎌倉の公方が東国を治めるようになった頃のことだった。
渡島南端の下ノ国の湊、宇須岸には上方の船だけでなく時折、朝鮮からの商船も訪れる。明国からの船は大商いで有名だが、ここ数年は途絶えていた。
商人たちが運んでくる米、馬、酒、中でも "鉄" を、蝦夷たちは喉から手が出るほど欲しがった。
獰猛な渡島のヒグマや狼と戦うにも、日々の暮らしの中でも、鉄は欠かせなかった。蝦夷ならばの誰しもが持つという鉄で出来た刀 ”マキリ” は、その最たるものであった。
「親方、今日もまた来ております。」
「またか。何度来ても銭は返せぬし、刀も受け取らぬ。」
下ノ国、志濃里の刀鍛冶、三郎兵衛は弟子の貫太郎ともども名の通った鍛冶屋である。
明国の船が途絶えて以降、渡島に入る鉄の数は減り続けている。
和人の商人たちも鉄を卸してはいるのだが、数が少なくなったと見るや日に日に値が上がり続け、いまでは大枚を叩かねば鉄は入らない。刀一本仕上げるのにも三郎兵衛は難儀していた。
仕方なく、鉄の質を落とし刀を打つようになった三郎兵衛だが、これを和人相手に売れば、たちまち評判が落ちる。
どうせ分かるまいと三郎兵衛は、蝦夷たち相手に質の悪い刀を売るようになった。
それから暫くして、三郎兵衛の刀を買った一人の蝦夷が、毎日のようにやって来るようになった。
「ウェン マキリ 。」
そう言うと男は、朝から日が沈むまで店の外に座るのである。
冬が近づく渡島は日に日に冷えて、朝から雪が舞っていた。
足下から熱が奪われ、指先の感覚が消える渡島の冬。今日は蝦夷の男も立ったままだった。
貫太郎が説得するのも聞かず、耐えかねた男はついに中へと入ってきた。
「なにをしておる!貫太郎、そいつを外へつまみ出せ!」
たたらの熱気に曝されながら、小振りの得物を仕上げていた三郎兵衛が真っ赤な顔で怒声を上げた。
外は凍えるほどの寒さだが、たたら近くは汗が吹き出たまま熱気を帯び、熔けた鉄の熱が貫太郎の頬にまで届いた。
後ろでは、蝦夷の男が何やら叫んでいる。
「親方、この者は親方の打っている刀を、渡せと言っております。」
「なんと!」
手にした道具を思わず床に叩きつけ、三郎兵衛は立ち上がった。
土埃が舞居上がった中からむくりと出した三郎兵衛の顔は、先ほどよりも真っ赤に燃え上がり、髪の先からは湯気が出ている。
「我の刀は悪い刀で、払った銭に見合わない。その刀を、変わりに貰うと言っております。」
「なにを言うか!この刀は志濃里のお屋形様にお渡しする大切な刀ぞ。蝦夷なんぞに渡してたまるか!」
すると、蝦夷の男は貫太郎を両手で押しのけ、三郎兵衛に向かってきた。
「俺の刀に、刀に文句があると言うか。俺の刀は、渡島一だ!」
そう言うが早いか手元に転がる得物を手にした三郎兵衛は、男の胸めがけて一気に突き刺した。
大声を叫び倒れる男、心の臓から真っ赤な血が吹き出て三郎兵衛に返り血を浴びせ、蝦夷の男は絶命した。
「親方!」
「馬鹿野郎!お前が止めぬからだ!俺はただ、刀を守っただけだ!!」
血塗れになった三郎兵衛は店を飛び出し、一目散に志濃里館に向かって駆けていった。
貫太郎は腰を抜かして動けずにいた。目の前には蝦夷の男が骸となって転がっている。
一刻ほど経ってから、空っぽになった荷車に蝦夷の骸を載せ、貫太郎は戸を空けて外へと出た。
冷気が鼻腔を通り抜けて血の匂いが薄まるのと同時に、ああ、これは夢の中ではあるまいかと貫太郎は目を見開いた。
真っ白だった。雪で、渡島が覆われている。
目を下に向けると藁からはみ出した男の足が見えて、一気に夢から醒めると、ぶるっと貫太郎の体は震え、雪に埋もれた凍える道を森へ向かって歩き出した。
荷車からは蝦夷の血がぽたり、ぽたりと滴り落ち、赤く染った轍が森へ延びていった。
その夜、狼に荒らされていた骸を、数人の日ノ本蝦夷が拾った。
蝦夷の女がひとり和人地へ点々と続く赤い道標の行方を見定め、男たちは骸き抱えて北に消えていった。
貫太郎は宇須岸の湊にいた。
膝丈まで雪に埋もれながらも、立ち止まれば凍え死ぬだろうと思い、感覚の無くなった脚を引きずりながら、あてもなく歩き続けていた。
匿われたままの三郎兵衛が鍛冶屋を譲ると言ったものの、蝦夷たちの報復を恐れるあまり、ついに貫太郎が店を継ぐことは叶わなかった。
ならば自分も館の中に入れて欲しいと頼んだが、渡党である貫太郎を警戒した和人たちによって締め出されてしまい、貫太郎はひとり歩き、湊を彷徨っていた。
「言葉が分かるか。」
声を掛けてきたのは商人と思しき壮年の男だった。
背の低い親方とはまるで違う、六尺はあろうかという和人の大男。すがる思いで貫太郎は事の顛末を男に話した。
「それは難儀であったな。だが館に籠もるも、あまり上策とは言えぬぞ。」
「それは一体、どういうことに御座いましょう。」
「渡党の出と申したな。渡党は双方の言葉を話すゆえに分かるまいが、和人と蝦夷の戦となれば、どちらか片方が降参しても戦は終わるまい。互いが、互いのことを分からぬ、言葉すら通じぬ相手なのだ。勝った負けたの勝負では収まらぬ。戦が終わるときは、どちらか片方が死に絶えるか、共に死に絶えるかのいずれかであろう。」
「終わらぬ戦、そうなるのですか。」
「終わるまい。少なくとも五年、十年で終わる戦には、到底なるまい。」
「渡党は、我ら渡党は、どうなるのでしょう。」
渡党は和人と蝦夷、双方の血が混じった交易に長けた者の集まりであった。
和人に近い顔の者、蝦夷に近い顔の者と様々であり、貫太郎の目には和人にしか見えない大男も、元は渡党の出だという。
「今のママ、とはならぬであろう。どちらか一方に付かねば、誰も守ってはくれぬ。」
貫太郎は青ざめた。すでに師匠は籠城し、和人の館は自分を追い返した。蝦夷達に見つかれば命の保証はない。
立ち止まっていた貫太郎は血の気が引き、吹きつける北風に身が凍え、目からは大粒の涙が流れた。
「私は、私は。どうしたらいいのでしょう。」
「儂と参るか? 渡島の海、しばし荒れようぞ。」
渡りに船とはこのことだと、貫太郎は思った。
一瞬、男の背中に後光が見えた気すらして、いつも木像を拝んでいた師の姿を貫太郎は真似てみた。
「そなたの師が仕出かしたことは救いようがないが、そなたは師の救いをも求めるのだな。」
大男と勘太郎が陸奥に渡ってまもなく、渡島は冬の嵐に覆われた。
マキリを巡って、一人の蝦夷が和人の鍛冶屋に殺された話は次第に広まり、復讐に燃える蝦夷たちが集結しはじめた。
怒りの炎が燃えたぎる鉄のように真っ赤に熱せられて、一気に渡島全土の蝦夷たちへと飛び火した。
雪に閉ざされた間、島を出ることが叶わなかった渡党たちは事の成り行きを見守るほかなかった。
蝦夷たちが胆振、ユウヲチに住む和人を襲撃すると、和人に与するもの、蝦夷と共に戦うものとの二つ別れ、残りは渡島を去った。
渡党は姿を消し、春の訪れとともに和人と蝦夷との戦が、幕を開けた。
胆振で和人を打ち破った日ノ本蝦夷の首領、コシャマインに呼応した各地の蝦夷が和人相手に立ち上がった。
総勢五〇〇〇を超える蝦夷の大軍が、南の和人地を目掛けて進軍する。
狙うは渡島南端、上ノ国、松前、下ノ国の三国にまたがる十二の和人館の拠点 ”道南十二館” 。
真っ先に件の発端となった志濃里舘が攻められて落城。館主の小林良景は討死し、三郎兵衛ら館に籠もった和人たちも、全員が道連れとなった。
勢いそのままに、蝦夷は他の和人館にも攻め入った。
半年の間に宇須岸、中野、脇本、穏内、覃部と六つの和人館が次々に落ちた。ついには渡島で最も大きい大館が落ち、松前守護の下国定季は蝦夷に捕えられた。
次の春までに十の館を攻め落とした蝦夷たちは意気揚々と進軍。和人最後の拠点、上ノ国花沢館に刻一刻と迫りつつあった。
次話 蝦夷錦 2. https://note.com/matterhorn/n/nda61cee85d35 (加筆済み)