【2018年】お母さんの学びメモ「学校、教師のこれからの在り方を考える IN 東京」
学校、教師のこれからの在り方を考える IN 東京
多賀・苫野 二人会
2018年3月10日(土) 六本木 ハリウッドビューティ専門学校・ハリウッド大学院大学
講師: 多賀一郎先生・苫野一徳先生
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お二人の著書「問い続ける教師 教育の哲学×教師の哲学」の発刊記念で開催されたセミナーで、神戸、熊本に続いて、第3回の東京が最後となるそうだ。
開催告知されてすぐに定員が埋まってしまう人気のセミナーで、どの会場でも活気のある会になったようだ。
今回の東京も定員が増員され、たくさんの参加者であふれていた。
お二人の対談は、前回の内容のリフレクションをしつつ、さらに発展させることができるような質問をフロアから受けて行われた。
多賀先生が「このセミナーは僕らが何か答えを示すものではないので、皆さんにはモヤモヤした思いが残ると思います」とおっしゃっていたとおり、参加者はモヤモヤのお土産を持って帰っただろうが、参加者が聞きたいことがダイレクトに反映されるセミナーになっていたので、満足度が高いものになったのではないかと感じた。
教師として現場で生きてきた多賀先生と、哲学者として研究をしてきた苫野先生は、具体と抽象という見事なまでに対照的な視点でお話しをされた。
著書の中でのお二人の位置づけどおり、現場でのご自身の経験や、今現場を見て課題と考えられることを話される多賀先生に対して、苫野先生は哲学的に分析して、それらの本質は何かを解説し、そして原理に基づいた分析を通して、多賀実践を価値づけされていた。
苫野先生がおっしゃった「僕はいつも抽象的な話しかできないので、先生たちにはよく『すぐに役に立つことを教えてほしい。どうすればいいのかを、具体的に話してほしい』と言われるのですが、僕は20年後、30年後の話をしているので、どうしても抽象的になってしまい、具体的な話はできません。」という言葉に、ハッとした。
苫野先生のように研究者は、「教育とは何か?」という本質にこだわり、そこから導かれる原理を追究するのが仕事だ。だから「未来の教育のあるべき姿」が見えている。
でもそれは「未来」の話であって、「今」とは乖離しているのは当然だろう。
では、その「未来」に向かって、「今」何をすればいいのか、その「今」を一つ一つ積み重ねて「未来」につなげていくにはどうすればいいのか…それを考えるのは、教師や保護者や地域の人や、子どもの育ちに関わる大人たちの役割なのではないかと思うのだ。
「研究者は現場を知らないから、そんな夢物語のようなことを言うけど、現場でそんなことできるわけない」「もっとすぐに役立つことを教えてほしい」という現場の不満をよく聞く。
たしかに、日々に汲々としている現場にいれば、「今を何とかしてほしい」という思いを持つのも理解できる。
でもよく考えてほしい。「今を何とかする」のは自分たちしかいない。外から来た助言者や講師に代わってもらうわけにはいかないのだ。
「今」がよくわかっているのは自分たちなんだ、と気づければ、助言を受けた内容や聞いた講演の内容を、自分たちの現場に合うように捉え直して、そこから自分たちの現場でできることを考えることができるのではないかと思うのだ。
そう、それは自分たちで考えるべきことなのだ、と思った。
苫野先生のご著書の「教育の力」にも書かれていることだが、教育論のワナとして「問い方のマジック」についてのお話しもあった。
二者択一の選択肢を示されると、どうしてもどちらかが正しいのだろうと思ってしまう。だが、絶対にどちらかが正しいという前提で話をすれば、対立が生まれるだけで、解決策は生まれない。だから、二者択一ではなく、「第3のアイデア」を考えるようにすればいい、という苫野先生の主張にはとても共感できる。
世の中には、二者択一の状況があふれている。けれども、それでは非難合戦になってしまい、何も解決しないことは周知の事実だ。
どちらもなんとか納得できるような折り合いをつけるための「第3のアイデア」を考えるのは大事なことだと思う。
だが、そういう経験ができる場は、なかなかない。だから大人でも難しいと思う。
やはり、いろいろな立場の人が、それぞれの主張をしつつ、それらが折り合える「第3のアイデア」を考える場があるといいなと思う。
多賀先生は「学校は制度疲労を起こしている。けれども、すぐには変えられない」とおっしゃっていた。同感だ。
だから、制度や環境のせいにしたところで、それで問題が解決するわけではないのだから、この状況でやれることをやっていくしかない。
子どもたちに「主体的・対話的で深い学び」を求めるのなら、私たち大人も、それはどういうことなのかを体験して理解する必要があるだろう。
大人こそ、学び続ける力をつけたいものだと思った。