【2018年】お母さんの学びメモ「第1回インクルーシブ教育について考えるセミナー」
第1回 インクルーシブ教育について考えるセミナー
2018年7月21日(土) 岡山
講師: 南 惠介先生、関田 聖和先生、青山 新吾先生
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ついこの間までは、ちらほらと聞いていた「インクルーシブ」という言葉。
このところ、めっきり聞かなくなっているような気がしている。
学校では、道徳の教科化やプログラミング教育の方に関心が移っていて、結局のところ「インクルーシブ教育」という言葉の定義もあいまいなままに、どこか片隅に置かれたままになっている印象だ。
でも今教室で起こっていることを考えると、「インクルーシブ」について考えることは大切なことなのではないかと思っている。
そんな思いがあり、セミナーに参加させていただいた。
●本質を理解する
南先生と関田先生は、インクルーシブ教育のための実践について、かなり具体的にたくさん提案してくださった。
一つ一つは綿密に計算され、意図的に、戦略的に行われていることがよくわかり、とにかく感服した。
それらは学級の中で行われた実践ではあるけれども、家庭でも同じように使うことができる部分もある。
そう思えたのはやはり、お二人がそれらの実践を単なるスキルとして捉えているのではなく、「なぜそうするのか」という本質の部分も丁寧にお話ししてくださったからだと思う。
本質が理解できていれば、他の場面でも応用可能だし、それをベースに状況に合わせてマイナーチェンジすることもできるだろう。
スキルは必要だと思うが、スキルに振り回されてしまっては本末転倒だ。
スキルを使いこなすためにも、本質部分をしっかり意識することが大切なのではないだろうか。
●言語化する意味
南先生と関田先生のすごさは、実践のすべてが意図的に行われ、積み重ねておられること、さらにそれらを分析して言語化されているところにあると思った。
例えば「インクルーシブ教育」をまわりに理解してほしいと思ったら、まずは自分が伝える側になり、「こんな感じだよ」と説明するだろう。
そのとき、「伝えるべき言葉を持っている」というのは大きな武器になると思う。
伝えるために言語化する必要があると感じた。
懇親会の席で、こんな会話があった。
「私は言語化するのが苦手で、どうしたら南先生のように言語化できるのか」
それを聞いて、なるほど、言語化するのは難しいことで、先生だから当たり前にできるということではないのだと気づいてハッとした。
南先生はその質問に「別に言語化しなくてもいい。直観的に動いて、その姿を同僚に見せればいいんだよ」とおっしゃっていた。
そうなのだ。自分のできる方法で伝える工夫をすればいいのだと思う。
ただ、言語化できなかったとしても、私は経験は意図的に積んでいった方がいいと思うし、それを自分の引き出しの中で整理しておくことは必要ではないかと思っている。
だからリフレクションは大切だ。
きちんと経験がストックされていれば、あとから意味付けすることもできるし、活用することもできるだろう。
誰にでも得手不得手はある。どう工夫すれば目的が達成できるのか、それを考えることが大切だと思った。
●個の物語と文脈
青山先生のお話しは、特別支援教育の観点がベースになっていて、「エピソード語り」から「インクルーシブ発想」について掘り下げてお話ししてくださった。
インクルーシブと特別支援教育は親和性が高いので、なんとなく「気になるあの子」に対するあれこれの対応がインクルーシブ教育だよね、という雰囲気を感じていたのだが、青山先生がおっしゃっていた「個の物語を紡ぐ」ことは決してあの子だけのことではなく、他の子どもに対しても同じようにやっていく必要のあることだと気づいた。
30人の子どもがいれば、30個の物語があるわけだ。
だから、障がいの有無や、気になる・気にならないなどは関係なく、すべての子どもたちが居心地のよい学級になるように、丁寧に30個の物語を紡いでいけばよいはず…ではあるが、現実的にはその余裕はない、という先生が多いだろう。
また、青山先生も危惧しておられたように、インクルーシブの定義や理解を広めていくためには言語化しなければならず、そのためにはエピソード満載の「個」では都合が悪いので、「一般化」することになる。
一般化して伝わりやすくなるのはいいのだが、今度はそれに当てはまらない「個」は切り捨てられていってしまうのではないだろうか…そんな風に感じた。
なんというか、あちらを立てればこちらが立たずという感じだ。
個の物語を紡ぐとき、「文脈」を読み取ることが大切だよ、という青山先生の言葉に深く共感した。
その子の背景にある環境、これまでの経験、これから先に所属するであろう場所など、あらゆる情報も含めて「今」を見る必要がある、ということだと思う。
文脈を見るという視点がなければ、「なぜそのような行動をとるのか」「何に困っているのか」という子どもの行動の根本的な原因を見つけるのは難しいのではないだろうか。
そう考えると、表面上は同じような行動をとる子どもたちであっても、一人一人の文脈は違うので、やはり「個」で見る必要があるのだなと思った。
●子どもは未来の大人
セミナーを通じて、ずっと考えていたのは「子どもたちは未来の大人だ」ということだった。
社会で接する大人の中には、いろいろな苦手を持っている人がたくさんいる。
おそらく子どものころから見過ごされてきて、そのまま大人になり社会に出たのだろう。
自分で苦手を克服したり、カバーできるような工夫ができるのならいいのだが、それが難しいとなると、できる仕事が限られたりして生きづらくなる。
今、学校での生活に困り感を持っている子どもたちも、いずれ社会に出る。
そのときにできる仕事があるだろうか。
自立して生きていけるだろうか。
そういう不安を、私は感じている。
学校の先生方は、子どもたちが生きる未来のことを考えたことがあるだろうか。
10年先、20年先がどんな社会になっていて、そこで生きていくためにはどんな力をつけておけばいいのか。学校でそういう力をつけることはできるのか。そんな観点で考えてみたことがあるだろうか。
これは学校だけの問題ではない。保護者も考えるべきことだし、大人がみんなで考える必要があることだと思う。
セミナーでそうした話題にも少し触れていただけたのはありがたかった。
今回もまた、私は知らないことがたくさんあることを知った。
自分一人で経験できることはたかがしれている。
いろいろな人の経験を聞き、考えを知り、自分の価値観の枠を少しずつ広げられるといいなと思っている。