【2018年】お母さんの学びメモ「ピンクシャツデー・いじめ反対セミナー」
ピンクシャツデー・いじめ反対セミナー
2018年6月23日(土) 神戸・三宮コンベンションセンター
講師: 多賀一郎先生、千葉孝司先生、大野睦仁先生、西村弦先生
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久しぶりの遠征での学び。
ピンクシャツデーのエピソードは以前から知っていたが、北海道で精力的に活動されている先生方がおられることをFBを通じて知り、いつかお話しを伺いたいなと思っていた。
「いじめ」が原因と思われる子どもの自殺が後を絶たない現状で、「いじめはカッコ悪いよね」という空気を作ろうと尽力されている先生方の活動は、正義を振りかざすでもなく、押し付けるでもなく、じわじわと周りの空気を変えてきているのだろう。
時間がかかるだろうし、すぐに目に見える効果が出るわけではないかもしれないが、地道に続けて、人々をつなげておられる姿に感動した。
いつだったか、たまたま見ていたテレビのニュースで、私の住む地方のどこかの学校でピンクシャツデーの取り組みを行ったという話を見たことを思い出した。
ピンクシャツデーのエピソードを知らなければ、そうしたニュースにも気付かずに通り過ぎてしまうだろう。
知ることは大事だ。そして、知ったことを活かすことができる勇気を持ちたいと思う。
●いじめたいヤツがいるから、いじめは起こる
いじめはおそらくなくならないだろうと思う。
以前読んだ脳科学者の著書にも、人間の脳の仕組みとしていじめにつながる行動が起きるようになっていると書いてあったし、集団で生活している以上、異質なものを排除する動きが出てきてしまうのは仕方のないことなのではないかと思っている。
だから、いじめをゼロにしよう、という考え方では無理があるのではないかと思っているし、それよりも「いじめはなくならない」という前提で、起きてしまったときの対応をどうするかということと、できるだけ起こらないような集団づくりを考えるということが必要なのではないかと思っている。
セミナーの冒頭で紹介してくださった絵本「空気マン」の中に、こんな一節があった。
「いじめたいヤツがいるから、いじめは起こるんだ」
よく大人は「いじめられる側にも問題がある」という言い方をする。
これは「いじめたいヤツ」の側の論理だろう。
でも登壇された先生方が口をそろえておっしゃったのは、「いじめられる側は100%悪くない」ということだった。
ほんとにそのとおりだと思った。
しかし現実には多くの大人が「いじめたいヤツ」の論理を支持していて、それが空気となっている。
恥ずかしながら私もその「いじめたいヤツ」の論理に、そうなのかもしれないなぁと思っていた部分はあった。
でもそれは間違っていると知った今、この空気を変えなければ…と思った。
●変わるべきは、教師
千葉先生がおっしゃっていた「これまで何度となく繰り返されてきたいじめ自殺から、我々は何を学んだのか?変わるべきは教師だ」という言葉が深く心に残っている。
多くの先生方は、目の前の子どもたちを守るために、いじめ対応に尽力してくださっている。
だが、必ずしもそれが効果的であるとは限らないのは、一人の力では限界があるということなのではないだろうか。
いじめられている側のケアはもちろんだが、いじめる側の問題にも対応しなければならないし、それを見ている周りの子どもたちのことも配慮しなければならない。
教師は授業のプロではあるが、心のケアまで深く学んでいるわけではないだろう。
専門家のアドバイスを受けることもいいだろうし、もっと他の先生たちとチームになって対応していけばいいと思う。
そしてそれは保護者にも言えることだろう。
だから「変わるべきは、大人だ」と思った。
●いじめを解決するのは、大人の責任
子どものケンカに大人が出ていくもんじゃない、と言われてきた。
子ども同士で解決していくことで社会性が養われる、という側面はたしかにあるだろう。
だが、いじめに関してはそれではダメだということに、なるほどと思った。
どんどんいじめが巧妙化して見えにくく、わかりにくくなっている。
だからこそ大人が注意深く観ていく必要があるのだろう。
大人(先生)が必ず守ってくれる、という安心感を、子どもが持てるような信頼関係を作っていきたいものだ。
大人は大きな責任を負っているということをきちんと自覚して、その責任を果たすという覚悟を持たなければ、と思った。
私は責任の自覚と覚悟が持てているだろうか…今でも自問自答している。