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【2017年】お母さんの学びメモ「授業深掘りセミナー in 北海道」(2)

授業深掘りセミナー in 北海道
2017年2月26日(日) 小樽 ヲタル座
道徳模擬授業 中1 玉置崇先生

講評「授業深掘り」 野口芳宏先生・池田修先生・神戸和敏先生・大西貞憲先生・後藤真一氏
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●「語り」の大切さ


玉置先生の「取りうる行動の検討」では、手品師がとった行動ではなく、「自分ならどうするか」「他に考えられる行動にはどのようなものがあるか」を問う。

生徒が考えたさまざまな行動を共有し、その中から「これは世間から後ろ指を指されるだろう」という行動を選ばせ、多数が選んだ行動をもとに「世の中には、常識的に受け入れらないことがある」ことをしっかり伝える。

次に「これは自分はやらない」という行動を選ばせ、なぜやらないのかの理由も合わせて全体で共有する。

他の人の意見を聞いて、自分の意見が変わる場合も出てくるし、なぜそう思うのかもっと知りたいということも出てくる。

生徒に交流をさせながら、「自分が良いと思うことでも、みんながそう思うとは限らないこと」や「行動は同じでも、その理由にはいろんな意見があること」などを伝えていく授業だった。

「授業深掘り」の中で、野口先生が指摘されたのは、「玉置さんの授業は『語りの授業』だ」ということだった。

そして「教師は、もっと語るべきだ」とおっしゃった。

野口流の道徳は、「教えるべきことをきちんと教える」である。

「公・私」「善・悪」の区別がきちんとできるように、根拠となる価値観をしっかり教えることが大切だという野口先生のお話は、何度聞いても「そうだよね」と思う。

そのためには、教師がもっと語れないとダメだ、ということも共感できる。

教師が語る、ということには、いろいろな要素が含まれていると思う。

まずは教師自身が語れるほど学ぶ必要がある。

いろいろな考えに触れて、さまざまな価値観を知り、検討し、その上で自分なりの考えが持てるように学び続けなければならないだろう。

そして、教師の語りが受け入れられるような、子どもたちとの関係づくりができていることも必要だ。

教師が信頼されていなければ、いくら熱く語っても、それを聞いてもらえない。

日ごろの学級経営が、こうした場面で生きてくるのではないだろうか。

「語りの授業」が増えてもいいと思う。

だが、それをするにふさわしい教師がどれだけいるだろうか…

そうありたいと願いながら、自分にその力をつけようと日々がんばっておられる先生方にエールを送りたいと思った。


●発達段階に応じた道徳観


「授業深掘り」の中で、池田先生が指摘された「小学校と中学校では道徳で教えるべき内容が違うと思うが、どうだろうか」ということが心に残った。

子どもの発達段階に応じた働きかけがあるだろう、というご指摘だ。

これは子育てにも言えることだと思い、共感できた。

理想を言えば、小学校のうちに絶対的な「公私」「善悪」の基準を教えて、中学校では状況に応じて、必ずしも正義が善とはならないこともあるというような社会の理不尽も教えられるとよいのだろう。

時の流れとともに、さまざまなことが変わってきたし、これからも変わっていくのだろう。

「公私」「善悪」の考え方や、生き方の価値観も変わるのかもしれない。

いつも変わらぬ野口節を聞きながら、親としてどう子どもたちと向き合うのか、大人として子どもたちにどんな社会を残していけるのか、そんな問いが頭の中をぐるぐると回っていた。

私にとっては、「主体的・対話的で、深い学び」になったと思う。

ありがとうございました。

前編はこちら ↓↓↓


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まったり屋ベティ
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