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【 第32回 】子どもをあなどることなかれ(3)

◆「みる」

教育実践「響の会」会長の角田明先生が、小牧中学校で講演をしてくださったときに学んだことがあります。
それは「『みる』には、いろんな意味がある」ということです。

皆さんは、「みる」と聞いて、いくつ言葉が思い浮かびますか?
まずは「見る」、これは一番よく使う言葉ですね。
他にも、「観る」「診る」「看る」などの言葉があることを教えていただきました。

英語では、それぞれの「みる」は違う単語になっていますので、意味も違います。それを日本語は、一つの「みる」という言葉で表現するのです。日本語って、なんと奥の深い言葉なのだろう、と感心しました。

◆親は子どもを「看る」

私たち保護者は、毎日子どもたちの世話をして、その成長を見守っています。
衣食住はもちろん、勉強のことにも気を配り、子どもの友達関係にも神経をとがらせ、病気になれば看病し、自分のことは後回しで、子どもが最優先の日々を過ごしています。
子供の成長と共に、少しずつ手が離れていきますが、何かあれば、いつでも駆け付けるのが親ですね。

そう考えると、親は子どもを「看る」という言葉が当てはまるな、と思います。
この「看る」は、看病するということだけでなく、広く大きく、「子どもを慈しむ」という思いも込められているように感じています。
昨今、親子関係の難しさが言われています。過保護・過干渉や、逆に放任、さらには虐待ということもあります。
でも、どんな親であっても、心の根底には、この「看る」という思いの種があるのではないでしょうか。
その種からうまく芽が出て、葉を広げて花を咲かせることができるように育てていくのが、「子育て」であり「親育て」なのではないだろうかと思うのです。

◆先生は子どもを「診る」

先生は、学校での子どもたちと接しています。限定された時間での付き合いですね。
子どもたちに学力がつくように、教材を吟味し、授業を工夫して、一生懸命に教えてくれます。
学級の中で、子ども同士のつながりが生まれるような仕掛けをしてくれますし、トラブルがあれば親身になって相談にのってくれます。
子どもたちの成長の中で、とても大きな役割を果たしているのが先生ですね。

先生と子どもの関係は「診る」ではないでしょうか。
学校の中限定であるために、冷静に子どもの様子を「診て」、「判断」ができると思うのです。
子どもは、学校では家庭とは違う顔を見せていることが多いのでしょう。
懇談会などで、担任の先生から聞く我が子の様子が、家とはまったく違うので驚いたことは多々あります。
良いことも悪いこともありますが、子どもだって、ちゃんと家と外とではキャラクターを使い分けているということは、親も織り込んでおかなければいけませんね。

そこから思うのは、しっかり「診る」ためには、「学校の中限定」ということだけでなく、「家での様子」も加味した方がいいのではないか、ということです。
先ほども書いたように、子どもは「家の顔」と「学校の顔」の両方を持っています。
ですから、まるごとの子どもを判断するためには、両方ひっくるめた状態で診てあげてほしいなと思います。

◆子どもは大人を「観る」

親、先生、と考えてきましたが、もう一つ、大切な視点があります。それは、子どもの視点です。

子どもは、大人を「観察」しています。
先生が、自分に都合のよいように発言を変えたり態度を変えたりして、指導がブレれば、すぐに見抜きます。
そして、先生を信用しなくなります。

同じように、子どもは親のことも「観て」います。
親の許容範囲を注意深く観察して、「ここまでなら大丈夫。怒られないだろう」というラインを見つけるのがうまいですね。

本当に、子どもはあなどれません。
私たち大人は、「子どもに観られている」ということを忘れてはいけないと思います。
そして「子どもだまし」に逃げずに、子どもを尊重しながら、誠実に、それぞれの「みる」で見守っていけたらいいですね。

(2015年11月2日)

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2013年4月~2018年3月まで、5年にわたり寄稿・掲載された教育コラムの原稿集です。

保護者の視点で考えていた教育のこと、また先生方へのエールなど、自由に書かせていただきました。


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