数学者を目指した時代(2)
数学好きで勉強して、思わず役立って(?)しまったこともありました。
大学では結局社会学を専攻して、卒論を書けずに留年したくせに、次は大学院を受験。
しかも、金沢を離れて神戸って…。
試験は外国語2つと専攻科目の記述問題、そして、面接。
卒論とアルバイトで精一杯で、外国語なんてろくに勉強していなかったけど、これもまた奇跡の合格。
奨学金は借りられましたが、生活のためにアルバイト探しを。
と、研究室の助手が親切にも求人のチラシを持ってきてくれました。
進学塾時間講師、時給2,500円❗️
ええっ!と思ったものの、教室が方々にある大手。
こんなの務まるわけがないと思いつつ、助手の親切も無にできないので、一応応募してみたら意外とOKとのこと。
文系の専攻で応募書類に文学研究科社会学専攻と書いたくせに、担当教科は中学の数学を希望。これがまたあっさりと通るのが面白いところです。
さすがに本部の灘中・高を目指すようなクラスの担当ではなく、オフィスビルの一室の鍵を渡され、支部教室の勤務に。
講師をしてみると、意外と妙に生徒に人気があったりして。
特に数学を毛嫌いしている女子に!
百歩譲っても(いや、譲る余地なんかない!)風貌がカッコいい訳はなく、面白い冗談を言える訳でもない。
ただ、「授業が分かりやすい」との「お言葉」はよく頂戴しました。
数学は一つ一つ段階を踏まえていけば誰でも「理解」はできるはず。ただ階段のニ段跳びみたいなことをすると途端に?????の嵐が吹き荒れる。というのは自分でも経験したことです。
例えば
x+2=3
のxは何でしょう?という問題で、=の左の+2が邪魔だからと言って、いきなり
x=3-2
と板書すると、「なんで+2が右に行くと-2になるん⁇⁇」ということになっちゃう。
=は右と左が同じということで、だから右と左に同じ数を引いても足しても同じこと、という事で
x+2=3
x+2-2=3-2
x+0=1
x=1
と書く。
もちろん、誰もが教えるときに「はじめのうちは」こう板書していると思います。
でもそのうち
x+2=3
x=3-2
x=1
と書いちゃう。
(実際、式の「操作」としては次第に頭の中でこうすることになると思うけど…。)
でも、私はしつこく最初のように板書し続けました。
下のようにすると理屈よりテクニックが先になって、おまけにもっと複雑な式変形になるとケアレスミスが多くなる。(自分がおっちょこちょいだから)
運良く、「塾」なので、これじゃあまどろっこしいという生徒はどんどん本部のクラスに吸い上げられていく。
数学者は別として、本来数学って、眉間に皺寄せてするようなものではなく、飴でもしゃぶりながらリラックスして楽しむものだ、と授業中に生徒にアメを配ったことがあったけど、うっかり机の中に包み紙を置いていった子がいて、「君は授業中に生徒がアメを食べているのを見逃しているのか」と私が本部から説教されたこともあった。
(本部もまさか私が配ったのだとは夢にも思っていなかったようだったけど)
時給は、最後は3,300円になっていて、一日2コマ持つと、計3時間でそれだけで9,900円。
そこそこの稼ぎにはなってはいました。
でも、復習テストを毎回することになっていて、確かにそれは理解度を確かめるためにすべきなんだけど、本部が用意してくれるテストプリントは本部のクラスレベルのもので、そんなの私のクラスの生徒ができるはずがなく、またできる必要もない。
となると私が自分で復習テストを作って、授業までに本部で印刷しておかなければならない。
おまけに、生徒たちは私が教室の鍵を持っていて、他の授業がなければ、本部に内緒で教室を使えてしまうことも知っている。
となると、定期試験近くになると
「先生、数学できるんだったら理科もいけるでしょう?」
てな事を言い出す生徒もいて、数学と理科を一緒にするなよ、学校だって数学と理科の先生は別だろうと思いながらも、生徒が困っているのに無視する訳にもいかず…。
(実は私が育った県の高校入試は当時、数学、国語、英語だけで理科はなかった)
理科は習ったはずだけど、完全に忘却の彼方に去ってしまっているので、必死で勉強し直し。
本部の手前、大っぴらにはできないので数人の言い出しっぺ以外、他の生徒には特に理科補習授業のことは伝えていなかったけど、教室を開けて待っていたら、口コミで広かったらしく、ほとんどの生徒が現れた。
ええっと、面食らったけど、どうせ教えるために必死で勉強したことだし、大勢の方が自分が勉強した甲斐もあるよな、と気を取り直して「授業」開始。
その日は次の授業が控えているなんてこともないので、エンドレスのデスマッチ。
さすがに生徒達は満足気に帰っていったけど、私の復習、プリント作り、授業、これみんな無償。ボランティア。
ああ…。