数学者を目指した時代
高校時代、数学者になりたかった。
数式を見て「美しい!」というタイプの人間がいるのですが、私もその類でした。
高校生活の2年半は数学と少し哲学書を読んだ記憶があるだけ。
教科書レベルでしたが2年生の中頃には高校で習う数学のほとんどをカバーしていました。
小説を読むように面白かったのです。(大学入試模試で高得点を取ることとはまた別問題でしたが。)
で、つい高校より上のレベルの数学の本を読んでしまうのですが、この時、気が付いてしまったのです。
数学とは「これはこうと決める」という、「定義」から始まって、一つ一つきちんと順を追って進めていけば誰でも数学的な「世界」を理解できる。そうゆうものだと思います。
でも、新しい数学的課題に挑戦するとなると話しは別、という事に高3の途中で気がついてしまったのです。
ある定理とその証明について読んだとき、これって発想はまさに天から降って来たように閃いて、結論が先にあって、後から万人が「そうか」と思えるように、仕方なく「証明」を作り上げたとしか思えない、そう感じてしまいました。
自分にはその才能があるのだろうか…と思ってしまったのが終わりでした。
当然高校では理科系のクラスにいたわけですが、物理とか化学には全く興味がなく、そのような方面に進学したところでどうしようもない。
他に興味のあった学科は哲学と心理学。
特に「認識するということはどういうことなのか…平たく言うと、例えば、人はなぜコップをコップだと思うのか」ということに興味ありました。
全く贅沢なことですが、大学で勉強したい気持ちはあったので、高校の担任にお願いして3年生の2学期の途中から、理系のクラスで一人文系の科目を自習していました。
「共通一次試験」の初めの年だったので受験状況は大混乱。
共通一次試験は、当時、7科目受験制で、数学、国語、英語は当然でしたが、理科と社会は選択できて、私は理科:物理、化学、社会:倫理社会、政治経済という文系受験ではありえない選択をしていました。
普通、文系受験なら生物、地学、日本史、世界史か地理だよなぁ。(というよりその時期に及んでは変えようがない)
大学も数学科を目指していた時に決めていたところから他に探しようもなく、たまたまそこに法文学部というのがあって哲学も心理学も受かれば専攻できたので二次試験もそのままその大学を受験。
驚くべきことに受験する大学の二次試験には文系なのに、たまたま社会がなく、英語と国語だけ。
その時の共通一次試験は政治経済、倫理社会がとんでもなくやさしく、日本史、世界史と平均点に差がつき過ぎて、後に物議を醸したほど。
数学、理科は順当に点数を取ってしまったので、一次試験の社会の点数差だけでそのまま合格。
人生、先は本当に何がどうなるか、わからない。
幸か不幸か先々のことはあまり深く考えない癖がこの時についてしまったのでした。