最近の朝事情
僕はとても朝が好きなんです。
特に晴天の朝は自然と心が弾み、一日の計画を立てて生活をしてみたり、
行き当たりばったりの小旅行に出向いてみたりと、
一分一秒をとても惜しく感じます。
そんな一日の始まりはまず白湯を飲みます。
近頃はコンビニなどにも白湯が売ってあったりしますよね。
季節問わず水ではなく、白湯を買う程、
圧倒的に飲む頻度が増えたかもしれません。
その影響か、冷たい水を飲むことが極端に減りました。
飲むとしても常温に限ります。
お茶やジュースは皆無と言っても誇張では無いほどです。
水分に味を求めていないのかもしれないとも結論付けたこともありましたが、
コーヒーは大好きです。
冬はもっぱらホットコーヒーを、
夏にはカップに水滴滴るほど冷たいアイスコーヒーを。
冷たい飲み物を意図して飲まない訳ではないようです。
デザートやお菓子は「別腹」と比喩される事もしばしばですが、
感覚はそこに近しいのかもしれませんね。
だいぶ話が脱線したようなので、気を取り直して。
朝は白湯を飲んで、ホットコーヒーを飲んで、ぼーっと外の景観を眺めて、
ぼーっとしている姿とは相反して脳内では、
「何を着ようかな」
「歯磨きが先か顔を洗うのが先か」
「髭伸ばすか、剃るか」
「音楽何流そうか」
「どこへ行こうか」
「眼鏡で出かけるか、コンタクトをつけるか」
など夥しい量の選択を強いられます。
金魚掬いのように、一つ一つの問いを慎重に掬い上げ、
掬い損ねたら違う問いだったりに狙いを定める。
はたまた、
スーパーボールを掬い上げるマシンの様に、
水面は駒のように激しく渦を撒いています。
狙いを定めようにも、
いかんせん流動的な水面を目前に茫然とする、呆気に取られる。
といったある種闘いとも似た壮絶な忙しなさが脳内では
巻き起こっているわけです。
金魚掬いやスーパーボール掬いが妥当な喩えかは一旦置いといて。
(僕自身も多少なりとも疑念は残ります)
選択をするという事は何かを切り捨てる事と同義な訳で、
家の戸を閉め外に出るまでの間に、自分の人生の道筋の一端を
幾度となく選択している事になります。
紆余曲折を経て、外の空気を吸う頃には、些か達成感を覚えている程です。
太陽の照りつけるアスファルトに自分が影を落としている事を
実感して、ようやく一日が始まります。
非常に乱雑な文章になっていると自負しておりますが、
最後まで読んで下さった皆様ありがとございます。
今回はこの辺で。