「東京観光日誌」#33|桜新町|長谷川町子美術館と記念館
6月7日(火)曇りのち雨。
1969年10月5日に放送が始まり、現在まで52年半続いているアニメ「サザエさん」。一時期スポンサーの東芝撤退で放送継続が危ぶまれたが、新たなスポンサーも付き「最も長く放映されているテレビアニメ番組」としてギネス記録を更新し続けている。
・ サザエさんに会いに行く
私とサザエさんの関係は、記憶を辿ると・・小学生の時に「8時だョ!全員集合」と同じように毎週観るテレビ番組の一つとして楽しんでいた。それでも中学生になるとほとんど観なくなり、家の誰かが観ていたら一緒に観る程度で、積極的には観なくなった。印象的なストーリーも特にない。そもそも友人同士で「サザエさん」を話題にすることはほとんどなかった。
そういう番組なのに今でも続いているという・・何とも不思議な番組なのだ。今は一体どういう人が観ているんだろう?
その「サザエさん」の生みの親である原作者、長谷川町子さんの美術館にちょっと懐かしさも込めて行ってみることにした。「ぐるっとパス」があるとこういう冒険もできるというものだ。
東京メトロ半蔵門線ともつながった東急田園都市線「桜新町駅」にお昼過ぎに着いた。おや? 駅名のプレートの下に「長谷川町子美術館前」の表示がある(写真下)。
案内に従って地上に上がると、すぐ目の前にサザエさんとタラちゃんの像がお出迎え(写真上)。え~と、まずは「サザエさん通り」を目指すことにしよう。
近くの用賀に長谷川町子さんが住んでいたということもあり(今でも長谷川家があるとのこと)、また、1985年に長谷川町子美術館が開館したこともあって、ここの商店街が盛り上げているとのことだ。
あった! ここが「サザエさん通り」(写真下)だ。
歩いているとポツリポツリ・・そろそろ降り出しそうだった。一応傘は持っている。しばらく歩いていると、二股に分かれた道に交番があり、その前にもサザエさん像があって右へ行くよう案内しているように見えた(写真下)。
どうやら着いたようだ。ここまで10分ぐらいだったかな。
道の反対側にもそれらしき建物があるが・・どっちへ行こうか・・と迷っていたところに、美術館から出て来た案内の方に声をかけられた。
「こちらからお入りください」とのことだった。最初に美術館、次に記念館へ行くのが正しい順路だそうだ。
・ 美術館から鑑賞
「長谷川町子美術館」と「長谷川町子記念館」の入館料は・・一般900円/65歳以上800円/大学生・高校生500円/中学生・小学生400円となっている。私は今回も「ぐるっとパスカード」の利用でフリーパス(900円お得となったのでトータル1,650円になった)。詳細はこちらで。
今日は職場から直接来たので、ノートパソコンもバッグに入っている。これが割と重いのでロッカーに入れたかったが、残念ながらこちら(美術館)にはないとのことだった(荷物は受付で預かってもらえるので申し出るとよい)。
それから写真撮影は館内禁止となっていて、記念館の1階だけ許可されているとのこと。後になってサザエさん関連のことを調べていくと・・どうも今まで著作権に関わる問題が数多く出ていて、かなり厳しく管理されてる様子だった。
“昭和”や“家族”といったアイコンとして都合よく扱われてしまうのか、人気者ゆえの煩わしい宿命と割り切るしかないんだろうな・・。
「長谷川町子美術館」では収蔵コレクション展として「京を彩る舞妓たち」が行われていて「古都に息づく伝統文化と、そこで芸を磨く舞妓さんたちの姿を、何度も花街に取材して描き出した弦田英太郎(1920-2014)の作品を中心に展示」となっていた。
本展の解説文(「SAZAE通信」掲載)の最後にこんな一文が小さい文字で付け加えられていた。
「弦田英太郎氏の関係者の方を探しています。ご連絡ください」・・え?これはどういうことだろう? 作品以上にこの一文に興味が湧いてしまった。
展示品は他に長納魚竹・平野富山の木彫作品や岩橋英遠・松尾敏夫の絵画等が鑑賞できる。
この美術館は、長谷川町子と姉の毬子が集めた美術品を展示する個人美術館となっている。コレクションの他には2階に「アニメの部屋」があって、磯野家の間取りのミニチュアやサザエさんの漫画、アニメの映像が観られるようになっていた。
やはり磯野家の昭和の間取りが興味深い。これをベースにアニメのキャラクターが家の中で動いていたかと思うと、少し見方が変わるような気がした。
「長谷川町子美術館」を出ると、まだ何とか雨にはなっていなかった。
記念館へ行く前にすぐ横が「サザエさん公園」となっていたので寄ってみることにした(写真下)。
小さな敷地だが、五体もの銅像がある(写真上)。
ちなみに、先ほど手に取った「サザエさん銅像マップ」では、この周辺にはこれだけの銅像が設置されていることがわかった(写真下)。
ということで、道を渡って「長谷川町子記念館」の方へ行くことにしよう(写真下)。
・ 記念館で町子を知る
「長谷川町子記念館」入口前の銅像は、左のいじわるばあさん像と右のサザエさん像の真ん中に漫画化された長谷川町子像(中央)がいて井戸端会議している様子(写真上)。何だか微笑ましい光景だ。
では、館内に入ろう(写真上)。
入るとすぐ右横にショップとカフェがある(写真下)。サザエさんグッツがいろいろあるんだろうな・・後で寄ってみよう。
フロアはこんな感じ(写真上)。
そうそう、まずはロッカーを探さないと・・尋ねたらすぐに近くにあった(写真下)。
「常設展示室:町子の作品」から観ていくことにする(写真上)。
入口ではキャラクターのパネルがお出迎え。記念撮影のために用意されているのだろう、ここは唯一写真が撮れる場所なのだ。入るとすぐに係の人から展示品の説明を受けることができた。
例えば、このモニター(写真上)では、サザエさんなどの原画がデジタルで観れるようになっている。こんな具合に再現できるのだ(写真下)。
よく見ると面白い。原画の中央からやや右側に縦線が映し出されている。説明によるとこれは左の方が新聞掲載時のサイズで、後になって漫画として出版された際には右横を付け足して描いた、ということだ。町子さんの仕事ぶりが身近に感じられる。
こちらは読書コーナー。本棚には昔の漫画本も並んでいる(写真下)。
この頃は文字もカタカナで表記されていたんだね。
展示室の奥にはデジタルで塗り絵体験ができるコーナーがあった(写真下)。
昭和の雰囲気を再現した“板べいのらくがきコーナー”と“けんけんぱコーナー”(写真上)、どちらも体験できるようになっている。係の人に勧められたので一瞬これをやろうと考えたが・・係の人が見ている中で、けんけんぱをする自分を想像したら恥ずかしくなってしまった。せめてノノが一緒にいたら・・。
奥には「茶の間」。昭和20年代後半から30年代に描かれた「サザエさん」の四コマ漫画に登場する生活道具が配置されている。
次に2階の「常設展示室:町子の生涯」と「企画展示室:町子かぶき迷作集」を観に行く。しかし残念ながら、2階は撮影禁止となっている。
とりあえず町子の生涯について簡単に書いておこう。
1920年に佐賀県で生まれ、1992年に一家で福岡県福岡市に転居している。1933年に父・勇吉が死去。翌年一家で上京。その年に町子は漫画家・田河水泡に入門している。田河水泡とは「のらくろ」(写真下)の作者である。
15歳で漫画家としてデビューした町子は、講談社の絵本や小学館の雑誌等に漫画を連載し始めた。戦時中は福岡に疎開して1945年に終戦。
1946年4月21日夕刊フクニチに初めて「サザエさん」の連載を始める。その年に再び一家で上京し、姉の毬子と共に姉妹社を設立して「サザエさん」を出版。町子27歳の時だ。
以後、町子はアシスタントもつけずにひたすたら一人で漫画を描き続ける。1949年に夕刊朝日新聞に連載し、51年に同紙朝刊に連載の場を移行。「エプロンおばさん」「意地悪ばあさん」等の連載もかかえ、超多忙な日々だったに違いない。
1982年62歳の時、紫綬褒章受章。85年に財団法人長谷川美術館開館。栄誉ある様々な賞を受賞した後、1992年5月27日心不全のため死去、享年72。
その年に「長谷川美術館」から「長谷川町子美術館」に名称変更となり、2020年に「長谷川町子記念館」が開館。昨年は長谷川町子生誕百年を迎えた年だった。
企画展の方は、町子の歌舞伎愛が詰まった展示となっていた(写真下)。
「町子は歌舞伎好きが高じて1952(昭和27)年から1956(昭和31)年まで、雑誌『週刊朝日』『週刊朝日別冊』『文藝春秋漫画読本』に歌舞伎シリーズ作品16点を発表しました。これらは演目をアレンジしたパロディ漫画で、原作から大きく展開も変えてギャグを折り込み親しみやすく漫画に仕立て上げています」と解説(「SAZAE通信」掲載)にあった。町子の歌舞伎見学の様子や歌舞伎俳優との対談の記事等も紹介されていて、町子の別の側面も感じられる展示となっていた。
一応全て観終えた。今日は長谷川町子さんを身近に感じる珍しい一日となった。寅さんの時もそうだったが、昭和のスターの輝きが今でも続いている場所がある。古き良き日本を大事に保存しているようだ。
外はまだ傘なしでも歩けるようだった。気象庁は昨日、関東甲信地方で梅雨入りを発表したばかりだ。
そう言えば、紫陽花が色付き始めてきたな。