ドラマが消えていく時代の中で
またまた変な時間にすみません。
いつの間にか1月が終り、締めの更新をしていなかったので、急いで書こうと思ったら、既に2月でした。
「なんだよそのオチは……」
「めちゃダッセーwww」
と心の中がザワつく訳もなく。
「あ、コレはコレでありだな」
と前向きになって、捉えると
「ある意味ドラマだな」
と、妙に納得している自分がいます。
リラックスしているからなのでしょうか?
こうして仕事終りにビールを飲んでいると、
ふと、今日のタイトルのようなフレーズが
頭に浮かんできます。
ドラマが消えていく時代だ?
なに寝ぼけた事をいってんだ若僧が‼‼
と、隣に居合わせた見ず知らずのおっさんが
グデングデンで絡んでくるわけでもなく。
目の前にいる威勢のいい板前のお兄さんが
いつもありがとうございます(^^)
はい、これサービスですよ‼‼
って一品出してくれるわけでもなく。
ごくごく平凡で、普通の光景が広がっていて、そんな毎日に嫌気がさしているからでしょうか?
今日も人生における無意味な問いがアルコールと共に身体中にまわり始める前に、自分なりにドラマを提議したいと思います。
ドラマとは?
ドラマとは、不便さである。
テレビドラマでも、よく主人公は恋人とスレ違いますよね?
LINEやFacebookのメッセンジャーもない時代。
まさに不便さが、より一層物語をドラマチックに描く格好になっていたりします。
でも、今はそれが通用しない。その気になれば、ボタン一つで告白からお別れまで、下手をしたら声を使わず全てワンプッシュで、それこそスタンプ1個で意思表明が行われる時代です。
個人的には、これを便利とは到底思えませんが、テクノロジーが発達していく中で、便利さだけではなく、これまであった人生のドラマが失われていることに"熱くなれない時代の一端”があるんだと思っています。
スマートフォンも、何がスマートなのかサッパリわかりません。考えてみれば、ガラケー時代の方が通話料もかかりましたが、今よりずっと通話を利用していました。当時付き合っていた彼女の声が聞きたくて毎晩電話をかけるみたいな(笑)
そんでもって、携帯代を払うためにバイトする‼みたいな変なエネルギーもありましたし、何よりそこには"またバカな長電話をしてしまった" という充実感がありました。
それが今では無料やかけ放題とやらが出てくると、使うどころか、その有り難みや価値が下がり始め、結局通話自分の声で相手に伝えることから疎遠になっているではありませんか‼‼
不便さがないと、いよいよ本当につまらない時代になるかもしれませんね?(^^;
不便さがないと、ドラマさえ起きず、日常の小さな幸せに感謝するきっかけすらAIに頼らざるを得なくなるかもしれない。
そう考えると、まだまだ不便さが残る東北の生活はある意味ドラマを生むかもしれない。
……と色々考えたところで、ビールがなくなったのでお開き‼
また気が向いたら書きます(笑)