君たちはどう馬鹿に生きるか
先日京都に行った。
相方の友人の結婚式で余興の漫才をするため京都の結婚式場に行った。
相方はそのまま式に参加したが、自分は漫才のためだけに京都に来るのが勿体ないと思い、同居人の「こちとら真骨頂」びっくを付き添わせて一緒に観光した。
ベタに清水寺付近を散策した。
来るのは大学生以来。ああいう観光地として発達した街並みは好きだ。
食べ歩きができる軽食系のお店が立ち並び、旅行のテンションでしか買わない意味不明な雑貨が陳列された店。
歩いて見てるだけで楽しい。
「今日楽しいわあ」
自然と声に出していた。
びっくと二人でみたらし団子を食べた。
インスタで調べたら出てきたかわいい包装をされたみたらし団子。
お客さんもいっぱい並んでいた。
食べたとき自然と「美味しい」という言葉が出た。
同時に胸が締め付けられるようになった。
もう一度「美味しい」と言った。
同時に何かが壊れた。
頭では「味は普通」と認識していた。
「美味しい」を言葉にすることで本当の気持ちを誤魔化そうとしていることが自分で分かった。
この団子は観光客を完全にターゲットにしたものであり、それに特化した団子である。包装のされ方からくる見た目の可愛らしさ、写真映えしそうな店内、値段の絶妙な手軽さ。
その団子を批判したい訳ではない。
SNSで紹介されやすいよう計算がされた緻密な団子である。
実際よく売れていたしよく考えられて売り出されていると思った。
ただ味には特化されてなかった。
それもそうである。この団子は初めからリピーターを獲得するためではなく、海外や県外から来た観光客が1回買うことを目的にしているはずだ。
よくできた戦略である。
でも僕は「美味しい」と言った。
せっかく人と観光に来て楽しい雰囲気を台無しにしたくなかったのもある。
ただ自分に嘘をつくと同時に魔法が解けた。
観光名所に来て非日常的な空間から来る異様なテンションの上がり方が消えたのである。
本来であればそのテンションに任せて「美味しい」と素直に言えばいいものを。
絶対に馬鹿になっていた方が楽しかったものを。
人間は出来るだけ馬鹿になった方が楽しい。
冷静になったらなった分損である。
お揃いコーデで街を回った方がいいし
全員で手を繋いでジャンプした写真撮った方がいいし
テーマパークではカチューシャをした方がいい。
そっちの方が絶対に楽しいはずだ。
団子を食べる前、テンションが上がりすぎて観光地特有の意味不明な雑貨屋でひょうたんの置物を買おうとしていた。
なぜか店員さんが不在で買えなかった。
本当に買わなくてよかった。
きっと団子を食べた後地獄みたいな気持ちになってた。
店員さん居なくてありがとう。