2人で歩いていくためのファシリテーション
こんにちは。
学生ライターの松田です。
ぼくは大学1年のときにファシリテーションに出会い、約半年かけてがっつり勉強しました。
その後の半年も、シンポジウムや定例会に参加しながらファシリテーションに関わっていましたが、大学2年の歳になってからすっかり離れてしまいました。
・・・と思っていたのですが、「とはいえ彼女とのやりとりの中で、ファシリテーションを使ってきたな」ということに気づいたので、どのように使っていたかをここに記していきます。
この記事が『今までにいただいた全てを無駄にはしていません』という意思を示せるものになると同時に、
ファシリテーションが使える身近な例の紹介のようなものになり、また若い人にもファシリテーションがより広まるきっかけになればいいなと思っています。
記事の構成としては、ファシリテーションの説明をしたあとに、ぼくがファシリテーションを使ってきた状況を
・「彼女を喜ばせるとき」
・「仲直りをしたいとき」
・「関係が上手くいかなくなったのはなぜかを自分で考えるとき」
という3つに分け、それぞれの場合にどのような使い方をしてきたか、という書き方をしていきます。
それらを頭に入れていただいて、まずは説明からまいりましょう。
ファシリテーションとは何か
その問いの答えは、堀公俊氏の著書である『ファシリテーション入門』に記されています。
曰く、
ファシリテーション(facilitation)を一言でいえば、「集団による知的相互作用を促進する働き」のことです。
堀公俊著『ファシリテーション入門』21ページより引用
”集団”とは、会社などの組織や会議の場にいる人たち、などを指します。
その時々によって言葉は変わります。
”知的相互作用”とは、人と人の意見や考えがかけ合わさって生まれる相乗効果のことです。
たとえば会議の場で、誰かが出した意見に引っ張られて、次々と意見が出されているような、その場が活発になっているような状況は、知的相互作用が生み出されていると言えます。
”促進”とは、文字通り解釈すれば『進むことを促す』となるわけですが、これこそがファシリテーションの原点です。
場が滞ったり、その場にいる人たちの関係が悪くなったりしがちな会議の場において、もっとも重要なことは『話を前に進めること』です。
話を進めずして会議は終わりません。
時間が経てば会議は終わるという話ではなく、その議題に結論が出ないということです。
そして、”会議を促進させる”という重要な役割を担うのがファシリテーションであり、促進させるために知的相互作用を引き起こすという手段を用いているわけです。
その結果、会議の時間が短くなって、しかし質の高い会議ができるということです。
ファシリテーションが何か、というのはなんとなくでもイメージを掴んでいただけたでしょうか。
全然わかんなかったけどもっと知りたい!という方は図書館に行ってみてください。
ファシリテーションに関する本がずらっと並べてあるはずです。
では本題に入りましょう。
【彼女を喜ばせるとき】本音を引き出すための使い方
彼女がいちばん喜ぶのは『彼女自身が本当に言いたいことや、やりたいこと、本当にほしいもの、本当の感情を分かってもらったとき』だと、ぼくは認識しています。
本人に「違う」って言われたら恥ずかしいですが、たぶん合ってます。
なので、ぼくは彼女を喜ばせるために、いかに本音を引き出すかを研究してきました。
そこで使ったのがファシリテーションです。
まず大前提として、『何を言っても受け入れる』という土台作りから始めました。
やらないように注意したのは、彼女が言ったことに対して怒ることと、否定をすることです。
それをやってしまうと『何を言っても大丈夫だ』という信頼が育ちませんからね!
また、ただ「それいいね!」と返すだけだと、『わたしの話聞いてくれてないのかな?』と思われるので注意です!
その場その場で返事を考えながら会話を繰り返していくことだけが、信頼を築きます。
と、まぁそんな感じで土台作りをしまして、その後は『観察』に徹しました。
ふだん会話をしている中で、(もっと言いたいことがあるんじゃないかな?)(何か聞いてほしい話があるんじゃないかな?)などを考えながら、
彼女が言ったことに対して「本当はどう思ってるの?」と言って反応をうかがってみたり。
ぼくがどんな雰囲気を保っていると一番心地いいのか、使ってはいけない言葉は何か、彼女の喜びが一番大きいのはどんなときか、などを仮説と検証を繰り返しながら観察しました。
これは、ぼくがファシリテーションの概念の中で一番大切にしている『相手を理解すること』。
相手を理解して、相手にあった言葉や行動を選ばなければ、それらはただの押しつけになってしまうからです。
また、相手を理解するという行為は、相手が包み隠していない本当の言葉や仕草を見なければできないことです。
だから、『何を言っても大丈夫だ』という土台が必要なのです。
そうしてできた『理解』こそが、「わたしの本当の気持ちをわかってくれた」と思わせる大きな要因になるとぼくは考えます。
ここで言う『理解』とは、相手がどんな人間なのかを知るという意味で使っています。
単に好みがわかるだけでは、2人で歩いていくなど到底できませんからね。
1年ちょっと一緒に歩いていても、全然相手のこと分かってなかったな、なんて思うこともあるので、気長にいきます。
【仲直りをしたいとき】関係を続けていくための使い方
ぼくたちの間で、ひとつだけ約束していることがあります。
それは「相手に見切りがつけば、いつでも別れを切り出せる」という約束。
あくまでも、自由である人間2人が、たくさんある選択肢の中から『一緒にいること』を選んでいる、という状態を保っているのです。
つまり、互いに「一緒にいたい」という合意を形成している状態です。
ぼくたちはケンカをしたときに、いつも合意を確認してから話し合いをします。
片方が「別れたい」と思っているのに、仲直りの話をするのは相手の自由を奪う行為ですからね。
また最初に合意を確認すると「どうすれば一緒にいられるか」を考えるのに集中できます。
余計なことを考える手間が減りますよ。
そして、仲直りの話を始めたときに大切なのが「関係を信じること」です。
必ず仲直りできる、とぼくはいつも信じます。
相手と合意を確認した上で仲直りできないことの原因は、途中で投げ出すことのみです。
だから、たとえどんな苦痛に襲われようと、どんなに相手への怒りが沸いてこようと、自分たちが作り上げた2人の関係を信じる。
何を言っても、自分たちの関係は壊れないと信じるからこそ、思っていることを思う存分言い合えるのです。
また、遠慮せずに言い合うからこそ、関係はより強固になり、相手への信頼が増します。
つまり、関係を続けていくためには『互いの存在への尊重』と『ともに作ってきた関係への自信』が必要なのです。
【関係が上手くいかなくなったとき】自分の中から答えを出すための使い方
彼氏・彼女に何を言ってもケンカ腰になってしまったり、なんだか笑顔で話せない、という時期ってありませんか?
ぼくはわりとあるんですよ。
もしかしてぼくだけですかね?
彼女の言葉をなぜか否定的にしか受け止めることができなかったり、なぜか彼女にイライラすることが多くなったり。
そういうときは、100%じぶんの中に原因があります。ぼくは。
なのでいつも、自問自答をします。
じぶんに問いかけるのは常に「なぜ?」です。
・イライラしているのはなぜ?→彼女からの返事が遅いから
・彼女の返事が遅いとイライラするのはなぜ?→じぶんが好かれていないのではないかと不安になるから。
・返事のスピードを『じぶんが好かれている』という尺度に使うのはなぜ? →彼女の言葉を信じられないから
・彼女の言葉を信じられないのはなぜ?→彼女は、本当はぼくのことを嫌っているのではないかと思っているから。
・じぶんが嫌われているのではないかと不安になるのはなぜ?→じぶんに自信がないから
というふうに、なぜ?という問いを繰り返していけば、原因の根本にたどりつけます。
原因の根本にたどりつけば、あとはじぶんが変化するだけです。
自分の思い込みや考え方を変えて変化するか、誰かと話し合って変化するか。
方法は様々だと思います。
ここでもっとも大切なのは、”根本にたどりつくこと”。
じぶんの中で「じぶんは変化した」と思っても、依然として彼女との関係が上手くいかないのであれば、まだ原因の根本にたどりついてはいないということです。
なぜ?と深堀りしていく過程では、じぶんの嫌な過去もコンプレックスも受け入れていく必要があります。
なかなか苦しいですが、それを対価として得たものは、ぼくの未来を明るくしてくれましたよ。
じぶんたちの関係やじぶんを変えようとするならば、じぶんの中から答えを出して試していく必要があるとぼくは思っています。
その答えは、間違っていてもいい。
『じぶんが考えて結論を出す必要があるもの』として”答え”という言葉を使っているだけなので、答え=正解ではないのです。
そういう意味での、じぶんの中から答えを出すための使い方です。
「これって本当にファシリテーションなんですか?」「はい、ぼくはファシリテーションだと思ってます。」
今回書いた3つの状況での考え方は、それぞれ影響を受けた考え方がもとにあります。
【彼女を喜ばせるとき】の
ぼくがファシリテーションの概念の中で一番大切にしている『相手を理解すること』
という一文は、アダム・カヘン氏のシンポジウムに参加した時に聞いた話がもとになっています。
アダム・カヘン氏は対話による紛争解決で著名な方でして、そのシンポジウムでは「解決が困難な問題に変化を起こすシナリオプランニング」がテーマとして置かれていました。
あくまでもぼくの解釈ですが、
シナリオプランニングとは、じぶんたちが理想とする未来を実現するために、”理想の未来において重要な役割を担う人々”を集めて、対話を重ね、自分たちの手で未来を創ること。
その中でもっとも重要なのは、その場にいる人々が、たがいを理解し合うことだと述べられた・・・と思います。
当時のぼくが『理解とは何か』を考え続けていたから、記憶が捏造されている可能性があり、断定はできません。
しかし、そのときぼくは、『少なくともカヘン氏は、理解とは何か、という問いに答えをもっていらっしゃるのではないか』と思い、質問をしました。
「カヘン氏にとって、理解とは何ですか?(What is understanding for you?)」
カヘン氏は「It's difficult.」と言って少し笑ったあと、言いました。
「Understanding is sense.(理解とは、感覚です)」
その答えが、ぼくの中にずっと残っています。
本記事におきかえていうと、彼女がどういうときに喜ぶか、というのは、状況ではなく感覚でわかる、ということです。
「理解は感覚」のくだりは、ぼくが書きたくて書いているので、実はちゃんと伝わらなくてもいいかなと思いながら書いています。すみません。
また、対話においてもっとも重要なのは、たがいに理解しあうこと、というのも、ぼくの考え方のもとになっています。
本記事では「ファシリテーションの概念の中で大切にしているのは『理解すること』」と書きました。
ぼくはだれと話をしても、聞き手にまわることが多いので、じぶんのことを理解してもらうのはあまり重要ではないと考えているからです。
以上、「相手を理解することを大切にしている」と書いた裏には、そんな経験がありますよ、という話でした。
※当時の資料が手元にないので、ぼくの記憶をたどって書いています。
なので、もし事実とちがう部分がありましたら、教えていただけると嬉しいです。
【仲直りをするとき】の
仲直りの話を始めたときに大切なのが「関係を信じること」です。
という一文は、ラリー・ドレスラー氏の”炎の中に立つ(Standing in the fire)”という考え方が元にあります。
ドレスラー氏によると、炎とは、『参加者の強い思いや恐怖、混乱から発生するエネルギー』であるとのこと。
そうした炎に立ち向かえるプロのファシリテーターを「炎の達人」と呼び、達人たちの最大の武器は、自分自身の内面(思考力と情緒の安定性、そこから滲み出す存在感)である、とも述べています。
つまり今回の記事においては、
「仲直りの話をする中で発生する怒りや批難」が炎であり、
その炎に立ち向かうための武器が「自分たちが作ってきた関係の内面(2人の思考力と信じることで生まれる関係の安定性、そこから滲み出す互いへの信頼の存在感)」であると、ぼくは考えています。
借りてる言葉に負けている感がすごいですが、まだじぶんの言葉にできていないので言葉をあてはめての説明にしました。
だいたいのケンカの原因はぼくなので、責められたりじぶんの過ちを突かれたりして、よく炎の中に立っています。
そのおかげで、じぶんが変わったという実感は、ものすごくありますね。
まだまだ困難は絶えませんが・・・。
【関係が上手くいかなくなったとき】の
じぶんに問いかけるのは常に「なぜ?」です。
という一文は、オットー・シャーマー氏のU理論の考え方が元にあります。
とはいえ、U理論はもともと、変化をもたらすリーダーたちが内面の「どのような場所から」行動を起こしているのか、という「源」を探求しようとするものです。
なので、「ぼくの知識の中のU理論」としてお読みください。
ちなみに本来のU理論とは、図で表すとこうだそうです。
U 理論について - PI Community Japanより引用
U理論について、詳しくはこちらをお読みください。
ぼくは、U理論とは『変化をもたらすために、行動や思考の原点を探るもの』だと解釈しています。
その原点を探るために、「なぜ?」という問いかけをして、掘り下げていくという手段を使っていると。
つねに同じ言動をくりかえしてしまう、というダウンローディングな状態に変化を与えるために、原点を探るのです。
ではじっさいに、上の図にぼくの思考を当てはめて原点を探ってみましょう。
ダウンローディング:彼女にたいして攻撃的なことを言ってしまう。
↓なぜ?
評価・判断の声:彼女が言うことがすべて、じぶん(ぼく)を否定しているように聞こえるから。
↓なぜ?
皮肉・あきらめの声:じぶんでじぶんのことを否定しているだけなんじゃないの?
↓なぜ?
恐れの声:じぶんは価値のない人間だと思っているから。
↓なぜ?
源(プレゼンシング):他人に嫌われるのが怖くて、たとえ嫌われたとしても「どうせじぶんは好かれる価値のない人間だから」と言ってじぶんを守るため。
ぼくは、そんな常に逃げ腰なじぶんが嫌だったのですが、そんなじぶんがいることは明白な事実でした。
いつまでも逃げ切れるものではないなと諦めて、そんなじぶんを受け入れてみました。
すると、ぼくの中に新しい考え方が生まれました。
「じぶんの価値は、受け取る相手によって変わるものだし、なにより自分で決めるものではないのだ」
じぶんがもともと持っている思考をいつまでも受け入れられないでいると、けっきょくまた同じことをくりかえしてしまう。
それなら、怖がりながらも覚悟を決めて、受け入れてしまったほうが楽になりました。ぼくは。
以上、「ぼくの知識の中のU理論」でした。
さいごに
ここで、あえて有名な方々の名前と考え方を引っ張ってきたのは、ぼくの思考があくまでもファシリテーションの考え方から派生しているということを示したかったからです。
タイトルが「2人で歩いていくためのファシリテーション」ですからね・・・。
ただ、引用以外の本文は、あくまでぼく自身の解釈ですので、「これは高名な方の言葉ではなく、松田の言葉なんだな」とご記憶ください。
多くの経験の上に生み出された言葉を、ぼくの文章で安いものにしたくないからです。
それと、気にされている方がいるかはわかりませんが、一応書いておきますね。
「炎の中に立つ」の説明だけやけに少ないのは、まだぼくがそんなに『プロフェッショナル・ファシリテーター』を読み込んでいないからです。
本が手元に返ってきたら読み返そうと思います。
あと、彼女とは口論したりいろいろ考えたりはしますが、それらから教訓を得て、改善策を立てたりしながら、一緒に笑えてます!ご心配なく!
それでは最後に、感謝の言葉を申し上げます。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました!
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