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会派分裂と区長選について

杉並区議会の自民党会派は今年4月をもって2つに分裂いたしました。マスメディアでは

  • 親田中区長派(6人)

  • 反田中区長派(9人)

の2つに分かれたと報道されており、私はそのうちの「親田中区長派」に所属しております。この件に関して、一部の支持者からは裏切者と呼ばれたりもしましたが、なぜこのような状況になったのかを説明いたします。

3月12日 予算修正動議に関する非公式会議
3月13日 修正動議撤回 → 14日 幹事長謝罪
3月15日 私が独断で二事業に関する懸念を表明 → 会派離脱届提出
3月28日 私の処遇に関する会派会議
4月4日 杉並区自民党分裂(9名の離脱・新会派結成)
6月19日 杉並区長選挙
7月10日 参議院選挙

【注記】

  • 当記事の作成・編集は松浦たけあき政策会議室が担当しております。松浦たけあき本人が正式に公表した文書については区政報告と合わせて送付いたしました「区議会自民党分裂の経緯と事情及び杉並区長選挙について」をご参照ください。

  • 選挙への影響等を鑑み、公表時期を8月といたしました。

1.政治信念と組織倫理のはざまで

会派分裂の経緯を説明する前に、政治信念と組織倫理の板挟みに関して簡単にお話したいと思います(と言っても、当たり前の話かもしれませんが)。

私は自民党の区議会議員ですが、政党に所属すると自分の言いたいこと・やりたいことは少なからず制限されます。政治信念がきわめて近いなら別ですが、杉並区議会最右派とまで言われる私と近い思想の人などそうそういるものではありません。

一方、政党に属さなければ、組織に縛られることなく自分の言いたいことを言えるでしょう(一人会派)。しかし、区議1人で成し遂げられることは驚くほどわずかです。それゆえ、区民のために何かをしようと思えば大きな政党に入るしかないのですが、既に述べた通り、組織が大きくなるほど個人の行動は制約を受けるようになります。

では、自民党が決めたことと自身の政治信念が衝突する場合はどうするのでしょうか。私は常にこの問題と向き合ってきました。

この手の話は政治家に限ったものではありません。会社の方針が自身の理想と異なる、上司と自身の意見がぶつかる、皆さまもご経験があるかと思われます。当然ながら、納得がいかないという理由で会社や上司の命令に背いていては組織として成立しません。一方、盲目的に組織の決定に従っているような人であれば私のような悩みを持つことはないかもしれませんが、それは何の信念も持っていないことと同じです。

なお、私が最も嫌うのは「都合のいいときだけ組織を頼り、都合が悪くなったら切り捨てる」という者で、こういう人間は必ず私益を公益に偽装して訴えるようになります。

党に所属する政治家の仕事は、地道で漸進的なうえに、信念の強い者ほど苦痛を感じる作業です。

「私がその案に賛成するから、代わりに私のこの案にも賛成してほしい」
「その案についてはこういう点が見逃されている気がするので、もう少し私と話してみないか」

政治信念の軸だけは絶対に譲らず、区の課題を一歩一歩解決していく。私は泥をかぶる覚悟で政治家になったつもりですが、それでも幾度となく離党を考えました。党を出ない限り、こうした葛藤は今後もずっと続くことでしょう。

これが私の考える「政治家の葛藤」ですが、それをもとに、以下、

  • 自民党会派が分裂した経緯

  • 杉並区長選挙で田中前区長を応援した経緯

についてご説明させていただければと存じます。

2.行政の圧力に屈伏した議員たち

事の始まりは3月12日。当時の会派幹事長から連絡があり、

  • 区施工90周年事業

  • コロナシンポジウム

の2事業に関する予算修正動議に賛同してほしいとの要請を受けました。なお、この要請には以下のような点があったことも付け加えておきます。

  • 会派15名中、区長寄り3名を除く12名のみが呼ばれた(非公式会議)

  • 他会派を含め、既に議会の過半数の賛同を得ているとのことだった

出席議員は私を含めて11名(1名は急用で欠席)。皆、幹事長の要請を黙認しましたが(翌日2名が反対表明)、私は以下の通り意見を表明いたしました。

  • 会派分裂など行政に対する牽制機能が落ちる可能性があるならば反対

  • 会派一致で区長に対し徹底抗戦をするなら賛成

  • 除外された3名を含め、正式な会派会議を開催すべき(その場ではなく、後の電話で表明)

結局、会派全員による会議は却下されましたが、話は修正動議に賛同する方向へ進んでいきました。

しかし翌13日、区長含む行政側の圧力により会派幹部は修正動議を撤回。1日で行政側に全面降伏する格好となりました。さらにその翌日14日、幹事長が混乱を招いたことを謝罪。このときは参加議員からは

「予算に対して付帯決議をするべき」
「意見開陳で表明すべき」
「幹事長の謝罪でこのまま収束させるべき」

など様々な意見が出ました。私は撤回したことに関する状況説明がなかったため、それでは議論できないと述べましたが、依然として説明はありませんでした。なお、意見を述べた議員は密室で幹事長に説得され、結局黙認という形をとることになりました。これをもって、私以外の議員は行政の圧力に完全に屈服いたしました。

3.会派離脱届の提出

翌15日、幹事長から「修正動議の内容には今後一切触れない」との通達を受けましたが、会派を代表した予算の意見開陳者であった私はこれを無視し、独断で2事業に対する懸念を表明いたしました。議員が行政の圧力によって提言を取りやめるということは、区民に対する背信行為です(政治信念)。もとより徹底抗戦を訴えていた私は、ひとりであってもそれを貫くべきだと判断しました。

一方、これは自民党会派に対する背信行為にほかなりません(組織倫理)。そのため、私は会派通達を無視した責任をとるため、自民党籍剥奪も覚悟のうえ幹事長に会派離脱届を提出いたしました。しかし、この件については会派(私を除く14人)で話し合いこそ行われたものの(3月28日)、しかるべき処罰もなく、結局私は曖昧なまま会派にとどまることとなりました。

おそらく、私自身が意見を求められたとき「行政に対する牽制機能を取り戻すことが重要だ」と述べたことが影響したのだと思います。行政への屈伏と同様、会派人数減少による弱体化もまた組織の力を低下させることにつながるため、私にとってはどちらも避けたいものでした。それゆえ、他の議員は「松浦は離脱したいというわけではないらしい」と受け取ったのでしょう。もっとも、私は処罰される立場ではありましたが、責任やけじめを曖昧にするこのような措置は真っ当な組織の在り方として間違っていると考えておりました。

私の処遇について話し合われた翌週の4月4日、会派内で何の議論・通達もなく、突然9名が会派離脱・新会派結成の届出を行いました。なお、その理由として新会派が挙げたのは、

  • 修正動議提出を潰した行政側の当事者と会食する者たち(私以外の5名)とは一緒に活動していけない

  • 次期幹事長が区長寄り議員になる懸念がある

というものでした。私はこの会派分裂にいったい何の大義があるのかと疑問に思います。少なくとも、この分裂について確実に言えることは「政策の不一致」ではなかったということでした。なぜなら、これまでの状況を見てもわかるよう、旧会派では政策について一致・不一致という結論が出せるような議論、全員参加の民主的な議論は何ら行われてこなかったからです(圧倒的な議論不足のなかにあって、政策の一致も不一致もありません)。なお、幹事長は新会派でも幹事長職に就いておりますが、会派を割って出た者は今回の件に関して幹事長に何ら責任がないと考えているのでしょう。

余談ですが、この件について事務局に確認すると、会派結成届と同時に、幹事長から「杉並区の自民党会派は9、1、5に分かれた」通告されたと聞きました。9は離脱した9名だとして、1とはいったい何のことかと思いましたが、それは私だったようです。おそらく、最も反田中区長的な色彩の強い私が、区長寄りとされる5名と一緒に活動していくはずがないと考えたのでしょう。私の意向も聞かずに「1」と伝えたことについては如何なものかと思わざるを得ません。

結局、私は区長寄りとされる5名と一緒に活動していく道を選びました。理由はこれまで述べた通り、

  • 牽制機能の維持(1人会派だと言いたいことは言えるが、区民を守ることができない)

  • 十七条憲法 十七条「夫れ事は獨り斷むべからず必ず衆と與に論ふべし」(物事は独断で行ってはならない、必ずみなと論じあうようにせよ)

の2つです。この信念のもと、私は会派に対して以下3点を確認いたしました。

  1. 「和を以って貴しとなす」という民主的な会派運営をすること

  2. 二元代表制の議員として、行政とは「是々非々」の姿勢で対峙すること

  3. 会派で田中良区長を応援しないこと

しかし、立て直しを図るには時間が足りませんでした。このお粗末な自民党会派分裂劇の結果、共産党・立憲民主党・れいわ新選組が推す新区長の当選を許すこととなったのです。

4.田中良前区長を応援した私

田中前区長は山田宏元区長の政策を転換し、12年たった今でも山田区政を批判していますが、長らく山田元区長を応援してきた私にとってこれは耐えがたいものでした。それにもかかわらず、私は今回の区長選挙で田中前区長を応援いたしました。その理由は、「共産党・立憲民主党・れいわ新選組が推す候補の当選を絶対に阻止しなければならないから」、この一点だけです。

まず、自民党と田中前区長の関係について簡単に説明いたします。田中前区長はもともと民主党に所属しており、区長初当選の時も民主党や社民党の推薦を受けていました(当時の自民党は対立候補を支持)。しかし、2018年以降、杉並区自民党の総支部長である石原伸晃前議員は田中前区長を支持するようになり、自民党から候補は擁立されなくなりました(今回の選挙でも石原氏によって、自民党からは候補を擁立しない方針がとられました)。

この状況については石原氏にも責任はあると思われますが、反田中前区長を掲げた新会派9名も含め、

  • 石原氏の総支部長留任

  • 自民党候補の擁立見送り

については何ら抗議してこなかったという現実があります。実のところ、私が修正動議に関して「会派一致による徹底抗戦」にこだわったのは、区長選挙における自民党候補擁立を見越してのことでした。会派が団結して区長と対峙すれば、石原総支部長とて自民党候補擁立に動かざるを得ないと考えたからです。

しかし、現実には候補擁立どころか、会派分裂と自主投票によって、共産党・立憲民主党・れいわ新選組が推す岸本かよこ新区長の当選可能性が急激に引き上がったのです。保守系候補であった田中ゆうたろう前区議は政治思想こそ近いものの、推薦団体や実績からして当選が難しいことは明らかでした(このことは保守系小政党に所属していた私が最も痛感しています)。むしろ、この構図であれば岸本新区長の当選阻止に動かなければならないものを、自民党内での危機感は皆無に近く、結果、私にとって最悪のシナリオ(僅差での当選)が実現することとなりました。

※岸本新区長を応援されている方にとって、上記のような表現は不快かもしれませんが、あくまで私や自民党目線の話だと割り切ってください。

田中前区長を応援したことについて、「松浦たけあき」に投票した方は落胆されたかもしれません。一方、私も含め、杉並区には「自民党」の看板で当選した議員も多くいたはずです。それにもかかわらず、大義のない分裂を招き、革新系新区長の当選可能性を高めたことは、「自民党」に投票した区民に対する最大級の裏切りと言っていいでしょう。この状況をどうすることもできなかった私が、悩みぬいて下した苦渋の決断でした。

おわりに

これまでの話については様々な意見があると思います。私自身、政治信念と組織倫理にはさまれ、何度も迷い、悩みましたが、そのなかで(政治家として泥をかぶることも含め)正しいことをしてきたと思っています。

長くなりましたが、今後とも二元代表制の議員として、区民・国民のために働いてまいる所存ですので、ご支援・ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

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