松下玲子さんってどんな人?小金井市民がインタビューしてみた!(前編)
※以下の記事は、松下玲子こがねい市民応援団が編集したニュースのウェブバージョンです📒 ぜひ新たな松下さんの一面を発見してみてください!
小金井市民から見た松下さんは我が市よりも財政的にちょっと豊かな武蔵野市の前市長でチャレンジングな人という印象ではないでしょうか。活動範囲を小金井、西東京にも広げた松下さんのお人柄を知りたくインタビューします。(聞き手・横須賀雪枝)
松下さんはどんなお子さんでしたか?
私の昔を知る人たちからは「全然変わってないよね〜」とよく言われます。活発で木登りをしたり、空き地に秘密基地を作ったり、毎日たくさん遊んでとても元気な子でした。
新聞記者の父の転勤で名古屋市で生まれて幼稚園は東京、小学校から横浜、中二で苫小牧市に引っ越しました。その後また父が三重に転勤になったのですが、私は高三だったので1人で1年間下宿して、卒業まで苫小牧にいました。
何度も転校を経験したので、友人と別れる寂しさと新しい友に出会う期待をいつも同時に感じていました。転校生は一人で乗り込むから注目されるけど、こちらはみんなの名前を覚えなくちゃいけなくて大変でした。でも今、どんなところに行ってもすぐに馴染んで仲良くできるのはその頃の経験が活きているのかもしれませんね。
そして、大学から社会人へ。その頃のお話聞かせてください。
上京して大学では美学美術史を学びました。就職も美術でと考えていましたが、バブルがはじけ就職難となり、二番目に好きなことはなんだろうと考えてみたら、食べることが好きだなと。それで食品メーカーで働きたいと考えたんです。ものを作って販売し、利益をあげて社会に貢献する仕事をしたいと思ったんです。大変な就職活動でしたが、なんとかサッポロビールに就職できました。
政治をめざすきっかけに興味があるのですが。
ショックなことがあったんです。パート勤務の方々の人事労務を担当する部署で働いていた時に、パートさんたちが「130万の壁」に苦労して、夫の扶養から外れたくないため課税収入を増やせず、他のところで領収書を改竄して調整しているのを見つけてしまいました。すごくショックで。どうして真面目でやる気もある女性がこんなことをやってしまうのかと思い悩み、これは扶養控除の制度が間違っているのが原因だと気がつきました。
変えていかなければと思って、社内でも色々やってみましたが、すぐに変えることは難しかった。私の中の正義感がぐるぐる回ってしまって、会社の外から変えていかないとダメだと思って、社会構造、経済についてもっと学びたいと思い、退職して大学院に進学しました。
お仕事辞めてしまったんですか?
周りからは「辞めることはないだろう。せっかく総合職にもなったのにもったいない」と言われましたが、不正を見つけて黙って目をつぶっていることはできなかった。気づいた人が行動して変えていかないと社会は変わらないと思って。今もそういうものが原動力なんだと思います。もちろん、その時はすぐに政治家になろうと思ったわけではないのですが、学ぶ中で、社会を変えるには政治しかないという気持ちが膨らんでいきました。
そして、34歳の時、チャンスがあって武蔵野市で都議会議員になりました。
次回、後編を公開します!
政治の世界に入って思ったことは?武蔵野市長では何をしていたの?小金井のはけと野川を分断する都市計画道路の問題について…などなど
お楽しみに…✨