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あの日から「#チームうさち」の演目について考えていること、または踊り子の魂はどこに宿るのか

2024年6月1日(土)
渋谷道頓堀劇場の開館23周年記念興行は、自分にとって初めての記念興行の観劇で、初めてのチームショーの観劇だった。

3回目までのステージを見終わって、多幸感とそれを上回る衝撃に打ちのめされた自分は、道玄坂を下って田園都市線のホームに辿り着くまでの間、美化された思い出にエディットされる前の生(なま)の感情をどこかに記録したいと思い、SNSの下書きに次のようなメモを書きなぐっていた。

● 踊り子の入れ替え可能性
● 振り付け、楽曲、名前が同じなら別人でも好きになったのか
● 踊り子のオリジナリティ(=魂)はどこに宿るのか

二人の踊り子が交わる点


宇佐美なつさんとささきさちさん、共に2019年に渋谷道頓堀劇場でデビューした人気の踊り子さん。
今回の記念興行では、お二人のチームショーが見られるとのことで、香盤が発表された時点で、SNSや現場のストリップファンの間でもたいへんな話題になっていたのを記憶している。

普段はそれぞれが全国各地の劇場でトリを取るような、いわゆる「非ロック系」を代表する二枚看板といって差し支えのない二人のチームショー。
それがどれだけ凄いことなのか、ストリップ客1年生の自分でも期待と緊張が伝わってきて胸が高鳴った。

それぞれの道を進んできた二人の踊り子、2本の直線が交わる点。
その劇的な瞬間に立ち会えるまたとない機会である。

それを楽しみにしながら、交わった先の線はどこに向かうのか、少し不安な気持ちもあった。

渋谷 道頓堀劇場へ


こだまの始発に乗って劇場にたどり着いたのは10時頃だった。
自分の前に10名以上の列が既にできており、話をしたり、スマホを眺めたり、物思いに耽っていたり、それぞれがそれぞれの方法で(きっとルーティンのようなものだろう)、整理券が配られるのを待っていた。
待っているのは待たせるより幸せな時間、とは誰の言葉だっただろうか。

11時になり開場。整理券の番号は20番台前半で最前列を除けば席は選び放題だったが、左目の調子が悪いため、少しでも目の負担を減らせるようにと上手側のかぶり席2列目を選んだ。

ささきさんの演目を見るときは下手側を選ぶことが多かったので、上手側に座るのは初めてかもしれない。

(脱線になるので詳しくは書かないが、踊り子さんの目線の先に自分を置いて演目に没入したいのお客さんは上手側、踊り子さんの一挙手一投足を俯瞰で眺めたいタイプのお客さんは下手側に座るイメージがある)

あっという間に満員となり、1回目のショーが始まる。
チームショーのことを忘れてしまうくらいショーを楽しんだ。

栗橋、まさご座と見る機会が多かった天咲さん、お客さんと一体になって明るくストリップを楽しんでいる感じがとても健全で、健全なエロスもいいなあと思わせてくれる踊り子さん。

小倉で『シルフィード』『Tokyo Dream Land』を拝見して惚れた藤川さん、コメディからシリアスまで演目の振り幅が大きく、一日の間でも「あれ?同じ人だよね…?」と驚かされる、漫画雑誌のような踊り子さん。

今回はじめて見る、SNSやブログで話題の恋沼さん、アイドル的なかわいさの人なのかなと思ったら、ダンスや演目の構成力など総合点が高くてさらに驚いた。オタクなので4回目のペンラOK演目も見たかった…。

フィクションとノンフィクションの狭間


【注意】ここからチームショーについてのネタバレと感想があります。




開演前の楽屋であろうか、二人が初めて出会うシーンから始まる。
まるでサイレント映画のようなコミカルな芝居のなかで、二人の性格の違いなどが見えてきて、とても楽しい。

過去の自分を演じているのか、それともパブリックイメージとしての<宇佐美なつ><ささきさち>を演じているのか。
どこまでがノンフィクションでどこからがフィクションなのか、といったことにもつい思いを巡らせてしまう。

そして二人の頭がゴッツンコーして「私たち、入れ替わってるー!」と言わんとするリアクションを取ったのちに、お互い何かを決心したような表情を見せて、持っている衣装を交換して暗転。
宇佐美さんがささきさんのデビュー作を、ささきさんが宇佐美さんのデビュー作を踊るという、長年追いかけてきたファンにとってはご褒美のようなダンスショーに客席がざわつく。

ダンスショーはお互いプロ中のプロなので、完璧に振りが入っていて凄いと思う反面、物足りなさを感じたのも事実だった。

具体的には「ささきさんはここでいつも見栄を切った後に溜めるよなあ、ここの表情はもっとこうだよなあ」など、普段演目を見ていて感じたことのないわがままな気持ち、言い換えれば”しっくりこない”気持ちが自分の中で湧き上がっていた。
自分はステージを見ながら、ステージの上にいない踊り子の「魂」を見ていた。

入れ替わることで強く意識するオリジナリティ


楽曲も衣装も同じ、振り付けもほぼ同じ、なのに演じるのは別人。
生歌や演奏、アクロバットなど属人性の高いパフォーマンスをかならずしも必要としないストリップでは、それが可能である。

選曲と振り付けが同じなら、別の人物が演じてもショーは成立する。
同じような外見の人間がいれば、なおのことである。
さらにいえば、<宇佐美なつ><ささきさち>という芸名も今の世界線ではたまたまそう名乗っているだけで、逆だった可能性もありうるのではないか。

だが自分は違和感を見過ごすことができなかった。
ステージを見ながらもステージの外にある「魂」を追いかけてしまっていた。

蛇足になるが、このオリジナリティは、落語では「フラ」、お笑いでは「ニン」と呼ばれる概念に近いのかもしれない。

つまり、構造的には代替可能な踊り子というシステムの中で、二人はオリジナリティ(=「魂」)を確立しているからこそ、ファンは何度も劇場に通う。唯一無二の存在として認識されている。ステージに立っていない時でもその存在を強く意識してしまう。

今回の演目の交換がそういう意図ではなかったとしても、自分にとっては”しっくりこなさ”が強く印象に残っている。
この記事を書くことになったのも、この”しっくりこなさ”のおかげである。

二つが一つになろうとすること

「私は踊ります」「私はキグルミです」という歌詞の不穏な曲に合わせてマリオネットのような振り付けのダンスを披露する。
正直、一度見ただけではこのパートを咀嚼できなかったが、ポップさと不気味さが印象に残っている。

そしてベッドショー。
分子構造模型のような、あるいは知恵の輪のような精緻で立体的なポーズが次々と組み上がっていく。

身体を重ねるというのは、二つが一つになろうとすること。
二人の魂を隔てている壁を取っ払うということ。

他者のことを理解できた、自分のことを理解してもらえた。
それは生まれながらにスタンドアロンな存在である人間にとって代えがたい快楽が訪れる瞬間だと思う。

ただし、壁を取っ払った先に見えるのはむき出しの相手の感情。
そしてさらけ出すのはむき出しの自分の感情。

<宇佐美なつ>と<ささきさち>の境界が曖昧になるようなパフォーマンスが続いたあと、二人は自分の衣装を互いに受け取り、再び個であることを選び、舞台の幕が下りる。
自分の呼吸音すらノイズに感じるほど、美しい沈黙の時間が流れた。

こんなの初めて見た、すごい。
自分だけかと思ったが、劇場にいた皆が口を揃えて同じ感想を漏らしている。
それを聞いて、図々しくも誇らしさを感じた。

自分が夢中になった踊り子さんが、ストリップという文化が、たくさんの人の心を動かしている瞬間に立ち会えることができたことに。

心のディフェンスを解体する


このショーを見て、些か心配になったことがある。
それはベッドショーの後半で二人がつかみ合いのケンカをはじめるシーン。

まるで無編集のノンフィクションを見せられたような生々しさがあって、お盆の上で回る踊り子さんは美術品ではなく、生身の人間なんだと改めて思い知らされるシーンである。

ステージの上で心のディフェンスを解体して、感情をむき出しにすること。
たとえそれがプロットに組み込まれた”演技”だったとしても、精神的に疲弊するのが避けられないのではと見ていて思った。

以前にとあるパフォーマーの方に、舞台上で感情を(時には肉体を)ぶつけ合うことについて聞いたことがある。
「あの言い争いのシーンはどこまで台本があるのか」という私の質問に、「言い争うこと以外は全てアドリブで、そのときの感情の赴くままに言葉をぶつけたり身体をぶつけたりしていた」「言われたくないことを言われたり、突然本気で蹴られたりする」ことのきつさを語ってくれた。

自分はもちろんそんな経験はないし、極限まで気を張っている状態でネガティブな感情をぶつけ合ったらきっと耐えきれずにショーも関係も壊れてしまうだろう。

それをこれから一日2回、10日間連続で披露する。
身体はもちろん精神にも負担がかかる演目なのかもしれない。
デジカメ撮影の際に「大変だと思いますけど、頑張ってください」と、普段なら演者さんに使わないようにしている言葉が出てきてしまうほど過酷に見えた。


BGMとして使われている楽曲の歌詞に

「あなたの歌は真っ白でそれがとても怖かった」
「私の歌はうるさいでしょ だって正攻法じゃ無理だもの」

「私は私のつくる地獄 嫌いじゃないけどどう映る」
「あなたの地獄を指で撫でる」

というフレーズがある。

表現者にとって、チームショーとは隣の「あなた」と比べられてしまうもので、それで自尊心をすり減らしている人もいるかもしれない。

作った演目について踊り子さん同士が本音で語り合うことも、基本的に個人競技の世界であるからこそ、あまりないのかもしれない。

チームショーと真剣に向き合うからこそ、この曲を選んだと考えると、それだけで胸にこみ上げるものがある。

ただ上記はすべて「かもしれない」という話。
当人たちだけが共有していればいい大事な気持ちに土足で踏み込んでエモの横取りをしていくようなことはしたくないので、わからないままでいいし、わからないままでいたい。

交わる点の先に


観劇してから15日が経った。
SNSには絶賛の感想が溢れていて、自分の長いだけで要領を得ない感想はまだ書き上がらないままである。

チームうさちは一旦解散した。
ささきさんは長めの休暇に入った。
ライブシアター栗橋の閉館が発表された。

見る前から少しナーバスになっていたが、これが二人の最後のチームショーとは思いたくない。
まだまだ新しい世界を、アイデアを見せてほしい。

2本の直線ではなく、曲線だとすれば、この先に交わる点がまたあるはず。
それを信じて、街の灯が消えないように明日も来週もストリップ劇場に通いたい。


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