勧誘

私は約束の時間ぴったりに、その店に入った。
ほどなく近づいて会釈してきたのは
パッとしないスーツを着た男性。
期待していたわけではないが、少しがっかり。
「まつさんですか?僕、田中といいます。今日はありがとうございます。」
人懐こい笑顔で挨拶して感じは悪くない。
コーヒーを注文し、互いのプロフィールを話題にした。
共通の趣味はスポーツ観戦、音楽ではあったが
話してみるとあまり接点はなさそうであった。

本題であるはずの株式の話になる気配がない。
私からふってみた。
「田中さんは口座開設してるんですか?」
田中さんは少し困ったような表情で
「ネット証券のですか?まだです。もう少し余裕資金ができてから
 にしようと思ってます。」
ああ、そうか、この人は大手企業の株主になって
株主優待など考えているのだろう。
私のように小口で小遣い稼ぎをするつもりはないのだと思った。
「そうなんですね。私は余裕資金ができたら、鉄道会社の株を買お
 うかなって考えてます。」
株の銘柄の話題になることを期待した。
が、そうではなかった。
「いろんな銘柄がありますからねえ。
 これからの収入源は多いほうが安心ですよね。会社勤めだけでは
 収入はほぼ決まっているし、時間が拘束されるし、この先リスト
 ラがあるかもしれない。
 かといって株だけの収入というのは現実的ではないし。」
ん?この人は何が言いたいんだろう?私は株の話を共有するつもりで来たのに。
田中さんは挨拶の時と同じ人懐っこい笑顔で言った。
「会社勤め以外に楽しんで続けられる仕事があればいいですよね。
 例えば若く健康であり続けるための化粧品やサプリメントを扱う 
 サロンとか。自分も周りの人もきれいで健康になれば一石二鳥で
 楽しいと思いませんか?」
この人のパッとしないサラリーマンのイメージに合わない話だと感じた。
「はあ、まあそうでしょうけど。」
私は違和感をどう返そうかと言葉を探していると
田中さんは同じ笑顔で話を続けた。
「サロンは親戚の話なんですけどね。
 僕は去年風邪をこじらせて熱が下がっても体力が落ちて
 弱っていた時期があったんです。
 ドリンク剤飲んでもあまり効果がなくて。
 そんな時その親戚にサプリメントを薦められて
 3日間飲んでみたら、元気が出てきたんです。
 チベットの山奥に自生している貴重な植物らしいです。」
テレビショッピングみたいな話になってきた。
その後も親戚のサロンの話が続き、フェイシャルケアを試すことを薦められ、サロンのチラシを私に渡した。。
田中さんは、ただ親戚のサロンを応援するために私に会ったのか。
おそらく自分の利益に繋がるからだろう。
これはネットワークビジネスの勧誘かもしれない。
私は、そろそろ職探しに本腰を入れなければならないという理由で
やんわりお断りした。
田中さんは相変わらずの笑顔で話を終わらせた。
「そうですか。いい仕事が見つかるといいですね。口座開設するときは相談 
 にのってください。僕はもう少しここで食事してから帰ります。」

SNSは自分が意図しない誘惑の種がたくさん潜んでいるのだろう。
スッキリしない気持ちを抱えながら帰路についた。

つづく

 







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