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京都魔界エッセイvol2 将軍塚

「将軍塚」ときいて 誰しもが思い浮かべるのは、きっと将軍様のお墓なのであろうという憶測なのだが。それとはちょっと違う。
これは京都人でも知らない方が多いのではないだろうか。
場所は青蓮院門跡の敷地内にある。
映画「陰陽師」では、怨霊・早良親王を祀ったという設定になっているが史実ではない。

平安京が建てられる時、都が見渡せる場所に守護神を祀った。
当時の世の中で一番武力的に優れた人物が「征夷大将軍 坂之上田村麻呂」である。
この人のチカラを借りて都を護る守護神としたのである。だから田村麻呂のお墓ではない。

塚には将軍の戦装束を2Mの土人形に着せて、都を見渡せる場所に立ったままの形で祀ったものである。

核となるものは将軍塚であるが、実際には都の周りに大将軍神社を祀ることによって平安京に結界を張るということであり、それによって平安京を怨霊や厄疫から護ろうとしたわけだ。
現在、この大将軍神社は五社しか無いとなっている。それは都の北から東にかけてである。
じゃあ西と南もあるだろうということで探してみて何年かで二社が見つかった。
小さな祠だけが末社として残っていたので、よく見つけられたと思う。
七社確認できたので、あと五社くらいはあるのでは?と思っている。

しかし、この大将軍神社から 「妖怪・怨霊」に纏わるエピソードが出てくるのも何か因縁めいた感じすらある。

一条の大将軍八神社は「百鬼夜行発祥の地」といわれ、そこにある一条通り商店街は寂れた商店街の復興のため「妖怪ストリート」と銘打って 各々の店先には手作りの妖怪オブジェが置かれている。

京都の東南といえば 伏見稲荷が有名だがそれよりも南に藤森神社がある。
ゴールデンウィークに駆け馬神事がおこなわれる神社である。
ここの祭神に「早良親王」がおられるがこの方こそが 桓武天皇を恐怖のどん底に落とした怨霊である。この話はvol1でお伝えしたとおりだ。

東山三条の南側一筋西へ入ったところに大将軍神社東三条社がある。
じつは私が生まれたところはその数件南であった。
当然幼い頃より大将軍神社は遊び場だったわけで ここで走り廻ったり 紙芝居を見たり 
時には怖い体験をした記憶がある。
妖怪を研究して初めて解ったのはここが「鵺の森」と呼ばれていたことだ。
まさか自分が毎日妖怪の森で遊んでいたなんて 夢にも思わなかった。
云われを探ると昔ここに「楡の森」があったらしい。これがどうも「鵺の森」に訛ったらしいのだ。
鵺はこの森から御所まで飛んで行き、夜な夜な奇怪な鳴き声で天皇の眠りを妨げたという。
 源頼政がこの地で鵺退治をしたことが「平家物語」に書かれている。
今では楡は無く 樹齢800年ともいわれる神木の銀杏が相変らず空に向かって伸びている。
現在では将軍塚は夜景を楽しむデートスポットとして有名である。しかしその傍らには征夷大将軍がひっそりと今でも都を見守っている。

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