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幸せになれない人たち_人生のコスパ、問題解決、課題達成について。

現状に満足したらおわり。現状に満足せずに成長し続けることが大切。
5年後、10年後のなりたい自分やキャリアのイメージを持ってそのために自分がやるべきことを長期、中期、短期に分けて考えてみる。

仕事だけでなく、人生全般において成長の大切さや現状を打破することや長期的な展望の大切さが強調されることがおおいけれど、私は全く共感しない。


製造業の品質管理の世界で使われるQCストーリー。
主に問題解決型と課題達成型のストーリーがに分けられる。

あるべき姿になるための問題点を抽出してそれを解決することであるべき状態を目指す問題解決型のストーリーと、理想の姿になるために達成すべき課題を設定して課題達成により理想の姿を目指す課題達成型ストーリー。

どちらも人生にも応用できるような気がしてしまうけれど、QCストーリーはあくまで製造業において歩留まりをあげ、生産性を向上させて品質管理のパフォーマンスを上げることを目標にして作り上げられたものであり、トヨタをはじめとする大企業が極限の生産性を目指して利益を最大化するためのツールだ。

これが人生に本当に応用できるのだろうか。
私は全くそうは思わない。

人間は製造業のようにパフォーマンスを最大化することで幸福になれるかと言えば全くそんなことはない。

人生は理不尽の塊で、10年後の自分のことをイメージするのは空想するのはいいけれど、ほぼイメージの通りになることはない。自分が10年後どこで何をやっているかなんて全くわからない。明日死ぬかもしれないのに。

あるべき自分になるための問題を抽出なんてしたら、それだけで気分が悪くなり憂鬱になってしまう。

ありたい理想の未来の自分をイメージして、その自分になるために達成すべき課題を考えたら、課題解決に向けた道のりの遠さに眩暈めまいがしてしまう。

そして、今の日本に蔓延している憂鬱さやメンタル不調のもとは、そんなあるべき自分やありあい自分のために何かを解決しなければいけないという、非人間的なストーリーを人間に適用して、少しでも生産性をあげさせることで儲けようとする企業や、そのイメージによって何かを売ろうとする人達、そして、その情報をまき散らすことで利益を得るマスコミやネットの住人たちに起因しているような気がしてならない。


自分の人生に生産性やコスパを向上させるツールを適用するなんていうのは、私にとってはほとんど自殺行為と同じようにしか思えない。

人生はどうなるかわからない。自分ではどうにもならないことが自分の人生の大部分を支配している。


私は今の自分に満足している。それがどんな姿であろうと、ここまで歩いて来た私の人生をもろ手を挙げて受け入れる。もっと良くなるように少しばかりの努力を続けたいと思うけれど、その努力が報われるかどうかなんて全然わからないし、わかるはずもない。

自分の人生に満足つつ、あわよくばもう少し良くするために何かやってみる。それが私の人生。

どんな自分だろうと、それを受け入れる。
ダメな自分、過去についての後悔や今の「ままならなさ」もひっくるめて、それが自分の人生だということを受け入れる。

それを受け入れずに、実態のない「あるべき自分」を想像して、そんなお化けを追いかけるような人生を送りたいとは私は思わない。

私が今持っている肉体、記憶、性格。それがどんなものであっても、それが自分でそれ以外は何もない。

あるべき自分なんていないし、理想の自分なんていない。
いるのは今日まで生きてきた自分だけ。それは10年後だって同じ。

私は、10年後のために課題リストを作るよりも、今の自分をそのまま受け入れた上で、ちょっとだけ今よりいい人間、幸せな人間になれるように、自分がやれる範囲でコツコツやってきたし、これからも同じように生きたい。

課題を解決した10年後の理想の自分は、新たな理想に向けて次の10年に向けた課題が増えている。じゃあいつ幸せになるのか。いつまでも理想を追い求める人生こそが幸せなのか?


私は今すぐ幸せになりたいので、今の人生を理想の人生として受け入れる。

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