必死に生きる人たち
今週は職場での女性の活躍についての業界内の横断的な活動についての取材があったので、普段職場の女性比率なんて気にもしていなかったけれど、職場で働いている女性の人数を数えてみた。50人ちょっとの職場で女性は14人。私の業界は男社会なのでここ10年くらいで本当に女性が増えて来たと思う。私が社会人になった2002年は70人の同期入社で女性は2人だけだった。今は新入社員の3割が女性とのこと。私が就職した当時は就職氷河期で採用数が少なく、今は250人採用しているそうなのでその3割と言うことは女性だけで70人以上いるということだ。私の同期社員全員と同じ人数の女性が毎年入社してくるなんて20年前では絶対に考えられかった。時代は変わる。
職場での女性の活躍についての推進活動をしている方たちは、業界トップランナーの女性が多い。研究職や営業職でバリバリ働いている女性たち。彼女たちはこれまで男社会で生き抜いてキャリアを築いてきた強い女性たちであり、「あなただから活躍できるのでは?」という言葉がどうしても頭をよぎってしまう。強い人間たちが活躍するある意味当たり前の組織。今女性が活躍する組織を考えるなら、野心と上昇志向にあふれた昭和的な組織の中で女性が活躍するのではなく、普通の女性が普通に活躍できる令和の組織を作らなければいけないと私は思う。
普通の女性が活躍できる職場は、普通の男性も活躍できる。私の職場では育休をとった男性社員もいるし、奥さんの出産に合わせて単身赴任の今の職場から実家のある拠点に戻した社員もいる。私は、いろいろな人が自分なりの力を発揮できる職場にしたいと思う。職場の中で女性がもっと活躍すべき、管理職になるべき、バリバリ仕事ができる環境にするべき、というのは、私にはあまりに一面的な考え方のように思う。女性も男性も安心して働けるような職場環境を作りたい。弱い男性も強い女性もいる。モチベーション高く上を目指す女性もいるし、出世など目指さずにほどほどに仕事をしながら家族との時間や趣味の時間を大切にしたい男性もいる。当然逆もしかり。私はそれでいいとおもっている。そういういろいろな人たちがそれぞれの力を発揮できる組織にしたいと思っている。
取材をしていた地元業界誌の記者も女性。キャリアは10年とのこと。男社会の業界で絵文字だらけのメールで取材対象のオジサンから食事に誘われて無視しましたとか、笑って話していたが嫌な思いも沢山してきたのだろうと思う。取材の後で少し雑談をする時間があった。
「皆さんが必死に働いているものづくりの業界で、自分たちはそれに乗っかるだけ。本当にこれでいいのかといつも考えている。」と彼女はそう言う。
ものづくりの仕事はある意味単純で、簡単にやりがいを感じられるし、ものをつくることで達成感も得られる。私は単純で即物的な人間だから、そうやって生きてきた。それでも、それに何の意味があるのか、50歳に近づいて、ふと思うことも多くなってきた。お客様の利益のため、会社の利益のために環境を破壊し、多くの人たちの人生をすり減らす。いったい私は何をやっているのか、わからなくなる。
私は何をやっているのだろうか。
私が今わかることは、だれもが必死に生きているということだけだ。やる気満々の人も、やる気もモチベーションも失いつつある人も、ものづくりの即物的な達成感に浸る人も、それを取材する人も、みんな必死に生きている。
よくある誤解は、やる気やモチベーションの低い人たちが必死に生きていないというものだ。決してそんなことはなく、彼ら、彼女たちはやる気満々の人たちと同じくらい、自分の人生を必死に生きている。なぜかそれを理解できない人たちが多い。もっといえば自分でその必死さに気づいていない人も少なくない。
必死に生きているから苦しいことも沢山あるし、モチベーションもやる気も出ないときもある。必死に生きていないなら、やる気があるかどうかさえ関係なくなる。自分が必死に生きているのだということを認めてしまうと、必死に生きているのに自分の納得できる結果が出ていないということを認めることになり、それを認めたくなくて必死に生きていることを自覚しないようにしているのかもしれない。そんな風に生きていたらいつか虎になってしまうかもしれない。
必死に生きる人たちがそれぞれに輝ける社会になればいいと思う。
誰もが必死に生きているのだから。