そのうち、助けに行きます
年末年始の帰省で出雲にいって出雲大社や隣の古代歴史博物館で日本の神話の世界に触れてから、なんとなく興味がわいて、日本の神話や仏教について関連するネット動画をみたり、本を読んだりしている。
YouTubeなんかで検索するとお寺の住職の方が仏教について教えてくれる動画がけっこうある。説法が本職の方たちだから話しかたも内容も面白い。私の実家は真宗大谷派なのだけれど、多くの日本人と同じように葬式の時だけお世話になる程度で信心もなく、浄土真宗のこともほとんどなにも知らない。せっかくだから真宗大谷派について少し調べてみた。
真宗大谷派の宗祖は親鸞聖人。本尊は阿弥陀如来。本山は京都の東本願寺。浄土真宗には大きな宗派として真宗大谷派と浄土真宗本願寺派の二つがあって、西本願寺と東本願寺が京都の町中にすぐ近くに並んでいる。もともとは今の大阪城の場所に本願寺があり、戦国時代は僧兵を持つ一つの大きな軍事勢力として織田信長とも11年もの間戦い続けるほどの勢力を持っていたそうだ。その後和睦をして、大阪にあった本願寺を引き払うことなったが、織田信長がなきあとに豊臣秀吉の天下になり、当時荒廃していた京都を復興するために今の西本願寺の場所に改めて建立された。その後徳川家康の天下になった際に、大きな勢力を持っていた本願寺の力を分断させるために今の西本願寺の宗主の兄にすぐ脇の敷地で東本願寺を建立させた。それが真宗大谷派であり、西も東も宗主も本尊も同じだし念仏も南無阿弥陀仏だ。
本尊の阿弥陀如来はなかなか面白い仏だ。
浄土真宗の僧侶曰く、色々な仏様がいる中で、阿弥陀如来は仏たちの先生として敬われているということで、何がすごいかと言えば、普通の仏様は祈りの対象、救いを求めて衆生から祈られる対象なのに、唯一阿弥陀如来だけは、善人だろうが悪人だろうがすべての人を「無条件」に「頼まれなくても」救ってくれる。煩悩にまみれ、欲や嫉妬心に燃える人間は自力で自分を救うことなどできず、すべては阿弥陀如来の他力に頼るしかないというのがその教えだ(他力本願)。
「南無阿弥陀仏」という念仏は、私たちが仏に「私たちを救ってください」と言う思いを込めて言っているのではなく、阿弥陀如来が、私たちの一番近くにある「私たちの口」をかりて「あなたを救いに行きますよ」と言っているのだそうだ。神様を信じて祈らないと救ってくれない偏狭な神様ではなく、どんな極悪人だろうが無条件に勝手に救ってくれる奇特な仏様。
浄土真宗が葬式の時にしかほとんどお世話にならないという事実は、その教えを知るととてもつじつまが合う気がする。戒律もなく、やってはいけないことなど無い。煩悩まみれの人間ごときが自分で自分を救うことなどできない、神様仏様との契約など一切なく、ただ救われるだけの存在だといわれると、まあそうだよなと思えてくる。あれこれルールを決めてそれを守らないと地獄に落とす偏狭な神様よりも、自分のダメな部分をそのまま受け入れてくれる優しい仏様を、私は信じたい気がする。
全ての人を極楽浄土に連れて行ってくれる浄土真宗。そうすると浄土真宗の地獄はどこにあるのかと言う話になるけれど、地獄はすでにこの世にあるということだろう。極悪人が暴れまわり、わけのわからない理不尽なことが次から次に起こり、自分が正しいと思ったことが簡単に踏みにじられるこの世界。自分や自分の周りの欲望や嫉妬で息もできないくらい苦しめられる、人間という名の鬼がうごめく世界。そんな苦しみにまみれた世界から頼みもしなくても助けに来てくれる奇特な仏さま。
そんな仏様がそのうち助けに来てくれるなら、地獄のような現世をもうしばらく生きてみようかなと、能天気な私は思う。