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知らない地域の知らないお祭り - 2024あばれ祭体験記①

「このお祭りは、"観るだけ"の人は、次の年に来ることはない。
でも、"担いだ"人は、必ず来年も参加したくなる」
夢のような2日間の始まりは、今思えばこのメッセージから始まった。

日本に眠るとんでもないお祭りの話をしたい。
今年の7月5日(金)と6日(土)のことである。

誰もが高確率で知っていて、一生に一度は行くかもしれないようなねぶた祭りや三社祭、京都祇園祭などとは違う。
きっとこのお祭りを知らずに一生を終える人が大多数であろう。
しかしながら、一度でも参加すれば、一生忘れられない記憶が刻まれることは間違いないであろう。

それは、石川県鳳珠郡能登町の宇出津地区にて開催される「あばれ祭」である。
このお祭りは、元日の能登半島地震からの傷跡が多く残る中で、ほとんど通常開催として執り行われた。

能登町と地震と祭

改めて能登町を紹介したい。
能登町とは、石川県の能登半島の北東部で、富山湾に面する町である。

令和6年の元日、能登半島地震によって震度6強の揺れに襲われ、住民や建物・構造物に大きな被害が発生。
それからほぼ7ヶ月が経過しているが、町の至るところに全壊/半壊等の危険度判定の紙が玄関に貼られた家屋が立ち並び、多くの屋根にブルーシートが覗き、道路にも隆起やひび割れが当たり前のように見られるという、そんな状態だった。

家屋の被害状況を撮るのは抵抗あったが、町がまさに復興の途上にあることを物語る

町がまだまだ日常を取り戻せていない中で、「あばれ祭」が通常開催にきわめて近い形で開催されたという事実の裏には、地域の相当の葛藤があったことは想像に難くない。

そんな特殊な事情を抱えた、2024年のあばれ祭に向け、「能登を盛り上げたい」「能登に訪れるきっかけをつくりたい」と、一般社団法人マツリズムの代表理事・大原学と、能登ファンクラブ(仮)を主宰する助川富美恵さんがタッグを組み、今回の企画を立ち上げた。
現地には、便利な移動の足も、宿泊施設もまだ十分に利用できない中、全国から計28名のヨソモノ達が集まった。

あばれ祭に向かう直前、円陣で気合を入れる

お祭りの裏方を手伝うボランティアでも、お祭りを観て楽しむ観光客でもない。
それぞれ祭着に着替え、3つの町会に分かれ、あくまで”地域の一員”として、現地の担い手さんとともに2日間のお祭りを盛り上げた。
そして私もこのグループに参加し、2日間のあばれ祭を味わうことができた。

大橋組
崎山二丁目
川原町

この2日間は、仕事でもレジャーでもない時間の過ごし方として、これまで全く触れ合ったことのない地域に飛び込み、忘れられないほどに濃密な、刺激的な時間を過ごすことができた。
受け入れてくださった、宇出津のみなさまへのせめてものお礼として、このタイミングで開催されるあばれ祭にはどのような意義があり、そして実際にどのようなものであったのか、できる限りのレポートをしたい。

あばれ祭とは?

まずは、その名も荒々しい「あばれ祭」の概要を見ておきたい。
あばれ祭は、能登地方に特徴的な「キリコ」のお祭りの一つである。

「キリコ」は、御神輿と同様に”担ぐ”ものではあるのだが、大きく違う点が2つある。

1つめは、見た目でわかるその背丈で、あばれ祭におけるキリコは高さ6~7mと言われる。
これは、担ぎ上げたときにもう少しで電線に触れるくらいの高さであり、渡御中は幾度か、キリコの屋根にかかった電線をどけるため、担い手さんが猿のようにキリコによじ登る姿が見られた。
また、巨大であることは、すなわち重いことを意味しており、キリコ1基あたの重さは約2トンとも言われる。
これがのしかかる担ぎ手として感じる重さは、御神輿の比ではなかった。

2つめは、キリコには神様は載っていない点である。
神様の乗り物である御神輿は別で存在しており、あばれ祭では酒垂神社と白山神社から2基の御神輿が出される。
「キリコ」はその御神輿を道案内する灯籠(キリコ灯籠)として各町会が担ぐものであり、昨年は40基あまりの「キリコ」が出された。 日が落ち、灯りの点いた灯籠が通りに並ぶ様子は、息を呑むほどの美しさである。

夜のキリコ。花火との相性もよい

能登町のあばれ祭は、さらにこうした「キリコ祭り」共通の特徴に加え、その異常なほどの荒々しさが2点ある。
お祭り1日目の夜、町内渡御を終えたキリコが広場に集まり、燃え上がる巨大な複数の松明の間を狂ったように乱舞するのである。
当然のように担ぎ手に火の粉はかかり、衣装に穴が開くのはもちろん、素肌の部分には火傷も珍しくない。
しかしこの儀式が、興奮や一体感など、担ぎ手の感情を燃え上がらせるのである。

大松明を囲んで乱舞するキリコ

また、先述した2基の御神輿の動きもこれまた荒々しい。
あばれ祭の祭神はスサノオノミコト(牛頭天王)であり、荒々しい神である。
そのスサノオノミコトが鎮座した御神輿は、屈強な担ぎ手によって、海の中や川の中、火の中に投げ込まれたり、叩いたり壊したりなど、一般的な御神輿のイメージからするととんでもない扱われ方をされる。
これが「あばれ祭」の呼称であろう。
この大暴れが、祭神を喜ばせることにつながったり、神様に近づいたりすることになるという。

神輿は梶川に投げ込まれ、水攻めにあう

「通常開催」の重み

このあばれ祭は、能登地方に約200地区あるとも言われるキリコ祭の中で、最も早く開催される。
能登の夏を告げる狼煙というわけである。

そのあばれ祭であるが、地震の発生から3ヶ月足らずの3月27日には、「通常開催を目指す」の方針が決定された。
もちろん地元にも賛否はあったようで、この経緯について、クラウドファンディングを求める記事では以下のように紹介されている。

去る3月27日にあばれ祭運営改善協議会を開催しました。 関係団体が一同に集まり今年のあばれ祭の開催方針を決定する会議です。
「寄付金の見込みやインフラの現状からすると今年は困難と考える」 「規模縮小の開催が望ましい」 「今こんな事をする時なのかと疑問に思うときがある」などの意見もある中、
「こんな時だからこそ応援してくれる方々に頑張っている姿を見せたい」 「祭りの楽しさを消して欲しくない」 「できる範囲でなにかをやるべきではないかと思う」などの意見もでました。 「祭礼に係る費用の住民への負担を少しでも減らしたい」との声も出ました。
宇出津地区では、全てではありませんがおおかたの地域で上水道が通り、祭りをどうするかと議論ができる状況になって来ました。能登町では仮設住宅への入居もすすみ、気持ちの上でも復旧から復興へとフェーズが動いてきたように思います。 会議では、祭礼執行組織の宇出津祭礼委員長のまとめにより、今年のあばれ祭は「通常開催を目指す」という方針に決定しました。今年の開催についてのいまだ賛否両論はあります。
が、「あばれ祭」は無くすわけにはいかない。が「あばれ祭運営改善協議会」の総意です。

「CAMP FIRE」サイトより

そのような経緯で開催されたあばれ祭には、どうしても勝手な想像をしてしまう。
きっと毎年変わらないであろう光景の裏に、宇出津の地域の心情の浮沈を想像してしまうのだ。

それは贅沢なことに、揃いのTシャツや法被に袖を通したり、ヨバレにお邪魔したりを通じて、地域の一員という立ち位置から垣間見ることができた。
さて次回からは、その当日の様子を記したい。

(記事:今場)

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