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【序盤を特別公開】 夢に見た物語

2月26日販売の私の著書から約30ページ分を公開します。
たくさんの人の柔らかな心を包み込むよう祈っています☺︎

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プロローグ




夢を見た

ワタシはすべてのいのちの記憶を持って生まれた小さな芽だった

ワタシは小さく柔らかな葉を広げ この世界を見上げる

崇高な山々と天高く透き通った青空 はるか遠くを悠々と彷徨する雲たち
ぽかぽかとあたたかい光を注ぐ太陽 頬に触れる優しい風
遠く聞こえる水の音に 鳥たちの麗らかな歌声 空気を含んだ柔らかな土のベット

その全てが生まれたてのワタシを優しくのぞき込んでいた
新しく生まれたいのちに、あたたかい眼差しとほほえみを向けていた

まっさらで新しいワタシは、降り注がれる愛に安堵する

なんだかとても長く眠っていたような気がする

ワタシは気持ちが良くて大きなあくびをした

その世界線はワタシが『ワタシ』というカタチになって、ある星にやってきた日と重なった
目を開けて、見上げた先にはふわふわ回るガーランド

ワタシをのぞき込む、祖父や祖母、そして父と母のほほえみ


〝 萌々子 〟

「萌」

  きざし 芽生え 芽吹き 新しいことの起こる前兆
  草木の芽が出る様子を意味する言葉
  植物と太陽、月の象形を組み合わせてできた形声文字
  夜が明け太陽の光を浴びて植物が芽生える様子を表す



『 草木が芽吹くように、新しい道を切り拓いていきますように。』

この星に生まれるワタシに、両親が贈ってくれた祈り

山々や太陽、風や土は
母や父、祖父や祖母、そして祖先だった

セカイのすべてが、ワタシがこの星に誕生したことを祝福していた

ワタシに欠けるものなどひとつもなく、なにもかもが完璧だった

ワタシはすべてに許されていた

すべてに愛されて生まれてきた

ワタシは気持ちが良くて大きなあくびをした




はじめに


 その頃の私には憧れがあった。
自分の車に色を塗って、その車で旅したい。ずっと憧れていた夢。
だけど私には車を買うようなお金があるわけじゃないし、手続きが大変だろうし、保険だって難しそう。そんな書面上や資金のことを漠然と考えながら、長い間踏み出せずにいた。

 深い寒さの訪れの前の、秋空の季節だった。木の下にラグを広げ、手作りのモンブランや金木犀のプリンを並べる。集まった仲間達と共にそれを頬張り、ひとしきりおしゃべりが終われば、何も言わずとも持ち寄ってきた楽器で誰からともなく音を奏で、歌い踊り始める。私は彼らの自分を信じ表現する生き方がとても好きだった。感性の豊かな仲間たちが自分の持つ個性に従って自由に生きたいと願い、それを体現しようとする。そんな彼らと一緒にいると私は、いつも少しの曇りもなく自分自身のことを信じることができた。私たちは集まればそれぞれの夢を語り合った。

その日私は、家に帰ってふと思った。
「私も、何にも囚われずに自由に自分の望みを願ってみたい。」
枠に囚われることなく生きる仲間の姿に刺激を受け、励まされ軽くなった私の心にそんな小さな火が灯った。

心の引き出しにしまってあった小さな夢を引っ張り出してみる。

どんな車が欲しいかイメージし、それに合う画像を検索してみる。

〝こんな車が欲しい、一緒に旅したい〟
その気持ちをそのままSNSに投稿した。

特に何も期待せず軽い気持ちでアップした投稿は、その 一時間後、予想もしていなかった展開を見せる。

届いていた一通のメッセージ。


「自分の友達が車を手放したくて、貰い手を探してる。」


まさに、私が探していた軽バンだった。

それは私に起きた、まさに〝奇跡〟だった。

もしこのタイミングでなければ、今日みんなをピクニックに誘っていなければ、みんなと話していなければ、私のアクションはなかった。



あの時、もし。
もしも、もしも。


たくさんのタイミングが重なって、今この瞬間に引き合わされた偶然たち。


-もしかして本当は
その時私の中にふっとひとつの仮説が生まれた。
〝もしかして本当は、自分が夢に近づいていくんじゃなくて、夢の方が私に近づいてきているんじゃないか。

そして私はただその然るべきタイミングで、両手を広げて受け取るだけなんじゃないか。〟

フラッシュバックにも似たような速さで、たくさんの点と点が線につながっていくような感覚が私の中を駆け巡った。


今まで私は、この世界を生きていくには、決まった一本の線を辿るしかないと思ってきた。
決められた仕組みやインフラがあるこの世の中。何かをするには社会的に決められた手続きを踏み、そこには必ずお金が必要となる。例えば車を手に入れるには、自分に合った条件で検索して車を決める。そのために時間をかけて働き、お金を貯めて、やっと貯まったらさまざまな事務的手続きの上、契約。
そうして手に入れる方法。この世界は一見、そんな物理的な手続きと経済で回っているように見える。
それは私たちの人生にいつでも、生まれてから今まで疑う余地なく当たり前にそうあったこと。それに沿い、反することがないことを常識と呼び知識とし、評価する社会の中で、私はそれを疑いもせずに生きてきた。
でもこの瞬間、私の中にポッと灯った、もうひとつの世界線。


-もしかしたらここには、私に知らされていない、もうひとつの世界線が存在しているのかもしれない。

多くの人々が疑ったことすらなく盲目的に信じ込んでいるそんな世界とは別に、もうひとつ。
私たちの理解を超えた〝流れ〟のある世界が、そこにはあるのかもしれない。
そして、望むのなら、私たちはそちら側の世界の流れに乗って生きられるのかもしれない、って。

 たとえば、それは木に似ている。
木が幹から枝を広げ、それぞれの枝には葉が茂っている。
もしも分かりやすく目の前にある世界だけが全てと信じているとしたら、私たちは木のことを幹や葉でしか知ることができず、理解することができない。
でも、想像してみて。
地中には根が広がっている。
根は深く広がり、地上の枝葉と同じだけ地中に広く張り巡らされている。そしてそこには地中の動物たちや昆虫たち、菌類たち、めくるめく地底の世界が広がっている。
私たちの持つ五感の能力だけでは感じにくいだけで、私たちがそれを認めようとも認めなくとも、普遍に存在しているもの。ふたつの世界線を捉えるとしたら、そんな感覚に似ている気がする。

従来の仕組みの中で、決められたルールと常識の中で生きる。
その世界線で生きることが大嫌いで、そうではない場所を求めてもがいてきた私にとって、その気づきは新しい道を照らす一筋の光だった。

「ねえ、もしかしたら私にはそんな選択肢があるのかも知れないよ。」

内なる声が私にささやいた。

〝もうひとつの世界〟を生きる。

もし夢が近づいているタイミングや、世界から送られてくる、見えない、聞こえない問いかけに気がつける目や耳を持てたなら、私はその世界線を生きていけるのかもしれない。

それは私の中に生まれた全く新しい仮説で、その新しい世界線がふっと私の中に生まれた時、私は眠る前のベットの中で、ただドキドキしてワクワクして、鳥肌にも似たような感覚に、体中を血液が駆け巡ったのを覚えてる。

-あぁ、私はその世界を生きたいんだ。
私はこの命で、その世界を見たいんだ、って。


私の中の魔法


 太刀打ちできない大きな大きな悲しみ。
長い時間を一緒に過ごした、これからもずっと一緒にいると思っていた大好きだった恋人とのお別れ。
自分の涙で目覚める日々、朝が来るのが苦しい。夢の中以外ずっと悲しくて苦しかった。
そんな悲しみが私の物語の始まりにあることを話さなければならない。

当時私はその人を失ったというだけでなく、〝その人に依存することで補っていた自分の一部〟をも失ったという表現があっているかもしれない。その人がいなくなって、彼の存在に依存することでうやむやにしていた自分の根本的な欠乏や孤独に直面することにもなったのだ。
喪失の痛手を抱き、何をしていても涙しか出てこなくなってどうしようもなくなった私は、それまでの全てを置いて何よりも自分を癒すことを最優先にしなければいけなくなった。

けれど立ち止まって自分の手の内を見た時、愕然とした。
私は自分をどう癒したらいいのか、全くわからなかったのだ。


 誰にでもひとつはある、幼い頃に夢中だったもの。
私にあったそれは、物語だった。

自然豊かな田舎町で生まれ、たくさんの愛情を注がれ幸せな幼少期を過ごした。
父母両家ともに初孫だったため、小さい頃はどこへ行ってもアイドルで宝物のように可愛がられた。祖父母が育てた畑の恵みを食べて育ち、器用な両親は私のための遊び道具やアルバムを手作りしてくれた。妹と弟が家族に加わると、張り切ってふたりを引き連れた。引っ込み思案で警戒心の強い繊細な子供だったけれど、勉強も運動も歌もお絵描きも器用にできた。おばあちゃんが家で華道教室をしていたのでお花が好きだった。寝る前の空想の時間、プリンセスごっこに、おしゃれをすること、歌うこと、キラキラした石のついた靴と可愛い花の飾りのついた帽子がお気に入り。愛情深いあたたかい家族と、やんちゃで頼もしい幼馴染に囲まれた、幸せな子供時代。
小さな頃から私は空想の中に生きているような子供で、とびきりの想像力を持っていた。今思い返すと少し変わっていただろうと思う。ここではないどこかによく意識が飛んでいっていた。
毎日のように図書館に通い、夢中で物語を読んだ。本を片手に、寝ても覚めても。朝日が昇り光が差し文字が読めるようになれば、布団の中に読みかけの本を引っ張り込んだ。表紙を開けば周りの音は消え、名前を呼ばれても気づかず、時間の概念は飛び去った。見かねた先生に通学路で転ぶなよと呆れられる。それほどまでに。

- 夢中だった。
遠い異国の美しい物語、夢の世界へ迷い込む冒険の物語、見たこともない不思議な生きもの達が暮らす世界。
主人公の目を通して見る世界は、私の想像の翼を羽ばたかせ、いつもここではないどこか素敵な場所へと誘った。
いつだって私の憧れは、目をキラキラさせて心震わせて読んだ物語の主人公達。
ファンタジーの世界を心のままに冒険する魔法使い。
どんな困難にも負けずに、勇気と優しさと信じる心を失わないプリンセス。
植物や動物、空想の中の生きものや、目に見えない存在たちと自由自在に心通わせる、心優しいヒロイン。
魔法と奇跡に溢れたロマンチックな世界を仲間と共に旅をする主人公。

誰にも言ったことのなかった幼い頃の密かな夢は、私もそんな、心ときめく物語を書く作家になることだった。

大好きだった。あの頃の私の全てだった。
多くの大人が辿ったように、私はいつからかそんな自分に蓋をした。幼いなりに自分が周りから少し浮いていることを薄々気がついていた。
〝 私は私のままでは生きていけないんだ。〟
物心がついてからは学校や社会の仕組みに自分がうまく沿えないことをはっきりと自覚しはじめた。自分を隠さなきゃとがんじがらめになった。
私のすべてだったものたちは、私が生きていかなきゃいけない世界では、無駄なものだったから。
私は自分の心の声を聞くのをやめてしまった。笑われるのが怖かったから。私は私の全てだったものと分断されてしまった。みんなそうやって大人になるのだと言い聞かせながら。私は自分を恥じ、否定した。あんなに夢中だった私の世界は色褪せ、もはや馬鹿馬鹿しく恥ずかしくすら思えた。大切だったものたちが心からどんどんこぼれていく。成長する中で知らないうちに繊細な心は傷つき、その度に自分を守るため、うまくやっていくため、私は自分の中にたくさんの厳しいルールを作り出した。この社会を生きていくには自分は不正解の人間だから、この世界での正解を生きている人の言葉に従って生きていかなきゃならないんだと。みんなに馴染めない自分が生きていくには、自分が嫌いなこと、得意じゃないことを、完璧にできるようにならなきゃいけないんだと。自分が本当は嫌だと言っていることを自分に課して、厳しく叩き込むことが不正解の自分が生きていくための正解なんだと思ってた。
振り返れば、なぜ?と思うような、自分が嫌いなことにわざと飛び込んで行ったり、苦しいことに向き合ったりした。働き出してからは何よりも優先するのは仕事で、仕事さえ円滑に進めば自分なんてどうなってもいいと思ってた。その結果体も精神も崩して私は自分が何を感じ考えているのか、自分の意思がさっぱりわからなくなっていた。えぐられた心を引きずって、毎日顔色が悪く、眠るのが怖くて、薬を飲まなければ眠れなかった。


 仕事終わりの帰り道、薄暗くなった商店街を歩きながら、行き交う人々を横目に見る。

自分以外この世界を平然と生きているように見える。

街を行き交う人々がどうやって生きているのか、不思議でたまらなかった。

薄紫色から瑠璃色に変わる空。

浮かぶ月を見上げながら、私は生まれる星を間違えたんだ、と、本気で思った。

それはどれも、自分を守るためという大義名分のもと行われた、壮大な自分による自分いじめだったと今になって思う。きっと痛かっただろう、悲しくてしょうがなかっただろう、自分と引き離されるのは。
それは自分の心を失うことなのに、不要なものを断ち切る制裁を下すことが正しいのだと思い込んだ。この現実と呼ばれる世界を生きていくにはそうしなければいけないのだと。

-私はとてもとても長く、そんな壮大な勘違いをしていた。

大好きだった人を失い失意の底にいた私の、彼を失った傷のもっともっと深く根本にあったもの。
それは〝自分が自分を生きていなかった〟
という、物心ついた時から自分と自分との分離でできてしまった深い深い痛みだったのだ。

 その頃、たまたま見つけたある人のブログに引き込まれよく読むようになった。当時の彼女の発信から、彼女が私と似た状況にいること、そして私たちはどこか通ずる感性を持っていることを感じた。
ただ私と彼女が決定的に違ったのは、自分の持つ感性を信じているか否かだった。
彼女は軽やかで麗らかな花のような女性で、自分を大切にするのがとても上手だった。その姿は私の目に、自分の内側から出てくる直感を100%を信じ受け入れ、何にも縛られず自由に羽ばたく人のように映った。輝いていた。

わたしは彼女の発信から癒しと安心を受け取り、そして自分をどう大切にすればいいのか、どう癒したらいいのか、どう受け入れ信じたらいいのかをその姿から学んだ。他人の評価軸ばかり採用して生きていた私に、傷だらけでボロボロだったその時の私に、彼女は人生で初めて、自分を信じる方法を教えてくれた人だった。

 私には、古い思考のパターンを捨て、新しい自分へと生まれ変わることが必要だった。
それまでの自分では太刀打ちできない出来事に出会うとき、その問題に直面した自分ではなく、その問題を包括できている自分にならなければならない。私は今の私のままの、過去の自分の延長上にいる自分ではどうにも太刀打ちできなくなっている、そんな自分のOSのアップデートを始めた。

今まで正しいと思っていた、言われるがまま受け入れてきた設定を捨て、0に戻す。

目を閉じて、自分の内なる声に耳を澄ませる。
ただ、まっさらな心で想像してみる。とてもとても素直に純粋に。

-もしも、生まれた時から、学校も社会もお金もルールも常識も何もない世界だったら、私は何をしていただろう?

きっともっとゆっくり自然の中で
好きな時間に寝て起きて
好きな時に好きな人に会って
見たいものを見て食べたいものを食べて
体調に合わせて休んで動いて
嫌なことはしないで
好きなことや自分の生活に時間をかけていたんじゃないかな?

思いついたことを、丁寧にひとつずつ自分の生活に採用していく。やりたくないことはやめる。やりたいことをできるように物事の優先順位を変える。難しいことは考えない。フィーリングを大切にする。泣きたかったら泣く、笑いたかったら笑う。自分の中に少しでも不協和音が聞こえたら、それはやめる。自分が作り出した自分を縛るルールをひとつずつ解放して、お金より時間より他人よりどんな時も自分の声を最優先にした。
そして自分の好きなこと、ワクワクすること、楽しいことだけの自分の時間を作る。生きることはそういう冒険でそういう遊び、そのくらいに楽観的にいる。それを自分の人生の初期設定に登録し直した。

 ちょうどその頃、私は学生時代から長い時間を過ごした東京を離れ、八ヶ岳の麓へ拠点を移した。

初めてそこを訪れた寒い冬の日、一面の白銀世界に目を見張った。冷たく澄んだ空気と八ヶ岳から吹き降りる風、そして見渡す限りのまっさらな雪は、まるで異世界、おとぎの国だった。土に触れ草花から四季の移ろいを感じる森の中の暮らしと、地に足ついた人間らしい生活の営み。都会の生活で衰えた五感は研ぎ澄まされ、余計な力みは溶けていった。
冬を越えた春先、一番に芽を出す小さな白いスノードロップを見つけ、その開花を祝った。夏には川で涼んで、浴衣を着て待ち合わせした友人たちと地元の夏祭りと奉納を見にいった。秋には厳しい寒暖差を越えた木々たちの織りなす紅葉を目に焼き付けた。その光景は人生で一番美しいと思った。

そして私は、ここで心の家族と呼べるような仲間達と出会った。
彼らはみな、常識に囚われず自分の道を進む、まさにアートのような人生を選択する自由な表現者たちだった。心の純粋で目の奥に光を宿した、繊細で強く優しい人たち。
集まればそれぞれの空気はぴったりと調和し、魔法のかかったように幸せな空気に満たされる。ひとりひとりが自分だけの道を見据えながら、誰も先をいくことのないどこか朧げで不安定なその道を行く。私たちはお互いに支え合いながら、それぞれの道を進むことができるよう出会わされたのかもしれない。夢をひとつひとつ叶えていく旅路の途中にいたその日々は、傷ついていた私の心を深く深く癒し、本当の自分へと続く道を行く大きな手助けになっていた。

そんな穏やかで満ち足りた日々の中、ふと気がついた。
私の中にはじめて〝生きる歓び〟が芽生えていることを。

それはなにか特別、嬉しい出来事や楽しい出来事があったからではない。

〝私が私を生きている〟という内から溢れる歓びだった。

「あなたならなんでもできる。何にだってなれる。どんな夢も叶えられるんだよ。」

生きる歓びを感じるその度に、私の中に聞こえるその声は、自分自身の声だった。

私が私を生きるためのただ一つの方法は、自分と自分が手を取り合う方法を見つけていくだけ。
私には私がいつも一緒にいる、いてくれる、という自分との信頼を作り、その約束を果たすだけだった。


誰も教えてくれることのなかった、この世界にただひとりの私を生きるための方法は、全て私が知っていて、私の人生の羅針盤は埃を被りながらも、生まれた時から私の中に確かにあったのだ。

知らなかった。誰も教えてくれなかった。

-いや、教えてくれなかったのではなかった。みんな知らなかったのだ。

だとしたら、これはこの世界の大きな秘密なのかもしれない。

〝私は私の描いた夢の世界を、私のまま生きていい〟

そう知った時、それまでの人生が自分にとってハリボテに過ぎず、他人の人生を演じていただけの壮大な茶番だったのだと悟った。その真実を前に、私は観念して私の物語の主人公を私に手渡し、自分の夢を生きることを許した。


 その日から私は私の人生の魔法使いになった。
花びらが舞うように人生を祝福し、蝶のように世界を自由に飛び回る、そんな世界を描いた。

長い長い冬を越え、さなぎが蝶に変わるように、私は生まれ変わり、誰にも奪われることのない私だけの羽根を手に入れた。


-私には力がある。


私という存在を幸せにしてあげる力。強くて勇敢で優しくて美しい力。
人生という道を行くとき、一番のパートナーは他の誰でもない、自分自身だったのだ。
こんなにずっと一緒にいたのに、初めましてのように私は私に出会い、お互いに一致していった。

〝自分を信じる〟

それは私が私にかけてあげられる、最強で最高の、この世界で唯一の魔法だった。


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お楽しみいただけたでしょうか?💭
この先はぜひ実物を手に取って、私と一緒に冒険を楽しんでもらえますように☺︎

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「世界とお話しできるようになりたい」

その純粋な思いが、予想もしない冒険の扉を開く。

失恋の痛手を抱えた著者に、繰り返し贈られてくる世界からの招待状。
それは幼い頃夢見た壮大な旅の始まりを告げていた。
カナダの神秘的な島々で魂の家族との出会い、メキシコの古代シャーマニズムによって深い痛みの浄化を知る。そしてペルー、アンデスの圧倒的な自然の懐では魂の記憶が蘇る。

これは世界の叡智の声を聞き、内なる宇宙の声に耳を澄ませた、半年間に渡るリアルなスピリチュアルジャーニーの記録。
著者の問いかけを前に、世界は少しずつその神秘のベールを脱ぎ始める。

「生きるとは何か?」
「世界とは何か?」
「私とは何なのか?」

―問い続けた旅路の先で、世界は何度も形を変えて彼女に優しく語りかける。

この本は、ひとりの旅人が見た世界からの愛の物語。
そして同時に、私たち一人一人に贈られている人生からの祝福の物語でもある。

あなたの人生に散りばめられた、かけがえのない贈り物を見つける旅に、この本がそっと寄り添えることを願って。―


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Momoko
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