【のこりもの】
寝る場所って言ったらまちまちですね。駅の構内とか、高架下とかよく見るでしょう、僕みたいの。雨風凌げりゃなんだっていいんです。
楽しみか。煙草かなぁ。もっとも、贅沢なんて出来やしないからシケモク拾いですけどね。道端なんかでまだ吸うとこのある吸殻を拾って吸うんです。
有害も有害ですよ。フィルターに近い方がニコチンやタールが沈着しているし、そもそも他人の吸いさしだから非衛生的だ。
考えると、楽しみと言うより保険なのかもしれないな。僕のような人間がこの世界に居ても許される為には、毒を摂っているという事実が必要なんですよ。免罪符を丸めて火付けて吸ってるんだ。
この生活になる前は農業を営んでおりました。特にうちの大根は評判が良くてね、特別寒い地域だったからよく糖分を蓄えてるっていうんで、名前聞いたら分かるような取引先がたくさんいましたよ。
なかなかいい暮らしでした。そこそこ貯えはあったし、家内に先立たれてからは近所の人が良くしてくれてね、孤独ってことは無かったと思いますよ。
なんでそんな生活を手放したか、ってそれはあの大根を抜いちゃったからです。
外から見た分にはてんでほかと変わらない大根でした。少し引っ張ったとこで違和感はあったんだ、そこで止めておけばよかった。僕は勢いよくスポンっと抜きました。あれを見ちゃったらね、もう尋常の生活はできません。
家内にそれを食べさせてみました。えも言われぬという表情。いや、美味を意味するどんな言葉を並べても、あれを表現するには足らない。それほどの味だと言います。
大根、大根とは言えないあれを引っこ抜いたその穴、穴からなにが見えたと思いますか。それは"それら"でした。それらに我々が内包されているのがわかりました。
僕が抜いてしまったのは、我々が享受してはいけない部分が残ったものだったのです。ふと、穴の向こうのそれらと目が合いました。それらには目がありません、でも目が合いました。それらは僕を見下ろしていました。久しぶり、その目で無い目はそう言っていました。
その瞬間、僕の中で食卓に並ぶ全てが食べさしでない確証が無くなりました。すべてはのこりもの。それらが価値が無いと捨てたのこりものです。大根で無いものを食べた家内は亡くなりました。
そういうわけで、僕にとっては大根や米やなんやとシケモクは等しくごちそうなんですよ。さっき免罪符だの毒だのと言ったが、あれは嘘です。与えられるだけありがたいと思わなければならない。残り物には福があるっていうでしょう。
それで最近思い出したんですよ、それらと目が合った時の懐かしい感覚の元。
僕がスポンっと産まれたその時、母の中にそれらは居ました。
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