noteを始めようと思ったきっかけ

自己紹介とnoteを始めたきっかけ

私は4人(小5、小1、年少、0歳)の母をしています。
朝と晩は、実に壮絶なカオスです。うるさくて、VoicyもYou Tubeも聞こえません。

産休育休を活用し3人目までは、フルタイム勤務で何とか仕事をしていました。心身ともに疲れ果て、パート勤務へと徐々に勤務時間を減らし、4人目の妊娠後期で退職。

妊娠期間中は何の異常も無く、もちろん多少の悪阻やあっちこち痛いよ〜ってのはありましたが、いわゆる健康妊婦でした。上の子3人とも普通分娩で今回も大丈夫でしょう〜なんて高を括って、余裕でいました。

が、2023年2月、先天性大動脈弁狭窄の赤ちゃんが生まれました。そのことについて書こうと思います。

なぜなら、10000人に3人と言われる先天性大動脈弁狭窄症。病症についてアレヤコレヤとリサーチしたけれど、看護する方の記事やブログが全然見つからなく、めちゃめちゃ不安だったからです。

診断を受けたときは、
「え、しんぞう…なになに?どうなるのこの先…ヤバイ。。。ずっと看病?私のジンセイも終わったか?」(語彙力すくな)
お先真っ暗の不安しかありませんでした。

たまたま友達の知人に肺動脈弁狭窄症のママがおり、その方と何度かLINEでやり取りさせてもらいました。病気は違えど、同じ心疾患を持ち、日常生活や保育園のことなど、気になることをたくさん聞くことができました。

些細な事でも繋がっているってだけで、めちゃめちゃ救われたのを今でも覚えています。

また、子供が成長し大きくなったら、どんな治療を受けたのか記録を残しておきたかったというのもあります。

現在生後6ヶ月。ちょっと落ち着いてきました。離乳食が3回になる前に、後追いがひどくなる前に、イロイロ書き残して行こうと思います。

今日までの流れ

・2023年2月10日元気な女の子が誕生!!
と思っていたら、心雑音があると言われ即、総合病院へ転院。出産翌日、先天性心疾患 大動脈弁狭窄症と診断される。 

・生後3週間でカテーテル治療を受ける。その後、狭窄は解除され退院。月1回の経過観察。

・生後6ヶ月より血圧を下げるレニベースを朝晩2回、内服中。

・現在は弁の逆流が見られ、今後1-2歳頃に女子ということもあり、ROSS手術になるかも〜と医師から告げられている。

長期的なフォローが必要になるので、そのまんまの状況を残す事で、どこかの誰かのためになれれば幸いです。

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