(2018年12月時点の)”テニミュ文化”とは?:第3章
はじめに
本記事含む「(2018年12月時点の)”テニミュ文化”とは?」シリーズは、「テニミュが長く続くなかで、なんとな~くオタクたちの中に生まれた”テニミュっぽさ”みたいな暗黙・共通の感覚って、何?その歴史・変遷はどんなもの?」ということをテーマに、私が2018年12月(=3rd全国立海前編直後)に書いた文章を、単にnoteに移植しただけのものです。
執筆以降(2019年1月以降=3rd全国立海後編以降)に発生した出来事等は含まれていません。
→個人的には3rd終盤~新テニミュ~4thで、外的要因(コロナ)やテニミュ自体の変化により、かなりこの”テニミュ文化”が変わってきていると思っているので、とにかく「この時点での”テニミュ文化”についての記事」ということを強調しておきます。あまりにも認識が誤っていて世に出したくないものは削除・修正していますが、それ以外は「当時考えていたことそのまま」「順序や構成も変えずに」移植することを意識しています。そのため、わかりづらかったり、当時の筆者の単なる考慮漏れにより含まれていない観点が多々あります。(具体的な考慮漏れについては、本文内で随時簡単に補足していく予定です)
★テニミュに詳しい人に一番読んでおいてほしいアラート
以下に列挙する通り、「テニミュの全てを知り尽くして・追っているわけではない人間」が書いているので、考慮漏れ以前に視点に大きな偏りがあります。ファンダム動向含めコンテンツをリアルタイムで追い始めたのは2nd全国立海前あたり・それ以前の作品は立海の出演公演メインで映像履修
立海のオタクであり、普通にそれ以外の学校の公演(とくに不動峰、ルド吹、六角)は生で見ていない公演が多い
必然的に「各シーズン初期」の動向はあまり把握していない
新テニに関してかなり疎い:ファーステを1-2回見た程度・原作は幸村周りだけ履修
完全なオリジナルの考察ではなく、ファンダム内で既に言われていたようなこと・既出の考察などを引用しつつまとめている側面が強いため、意見・主張の被り、n番煎じ感がかなり強いと思います。
その他想定問答と免責
なんでこんなnote書いてるの?:快楽のためです♪(こういう話を考えるのが好きで、今後考えるためにもまとめておきたいから)
なんでTwitter(X)のアカウントを開示しないの?:この記事を発端に周りの人に万が一にでも影響を及ぼしたくないから
なんでわざわざ公開するの?:なんででしょうね照 多分これは普通に承認欲求です照
想定読者
以下を既に知っている人を対象に置きます。
「テニスの王子様」のざっくりとしたあらすじ・登場校
「テニミュ」が「テニスの王子様」のミュージカル化作品であること
「2.5次元舞台」が、「マンガ・アニメ・ゲームを原作とする2次元のものが、3次元の舞台になっているもの」であること
この辺りの説明は完全に省いて当たり前のように固有名詞・用語等出すのでご容赦ください。
※「知らない方は読むな」ではないです!
記事シリーズの全体像
【第3章】観客・役者の言動のうち、”テニミュ文化”が無意識に起因していそうなものについて考える ★いまここ
あとがき:これを再掲した2024年3月時点で、私自身唱えたい異論(本文中で書ききれなかったもの)、今後考えてみたいと思ってることについて
要約
この章では、前の章で述べた「意図した仕掛け」じゃなくて、「無意識に”テニミュ文化”を内面化している人たちが勝手に暗黙で作っていったルールとか巻き起こった反応とかいろいろ」をまとめてるよ
※一番ファンダム考察要素が強くなるので、当時筆者が身を置いていたコミュニティをベースとした視点の偏りが多いのと、出典を載せると発信者さんに申し訳ないので伏せて列挙するよ(=ソースのない情報が並ぶよ)
大きくは「ミュキャスが無意識でやってそうなもの」と「テニモンが自発的に感じ取ったもの」で分けられるよ
ミュキャスが無意識でやってそうなものとしては、トークで語られた無意識の役作りアプローチや、同窓会の活性化、卒業キャストがテニミュ時代を懐古することが増えた点にあるよ
テニモンが自発的に感じ取ったものとしては、一番は「王子様コード」と呼ばれるルール(すごくわかりやすいもので言うと現役ミュキャスは成人済みでも飲酒喫煙の写真を上げないとか、キャラ扮装の写真は公式からしか投稿されないとか)だよ。大事なのは、「本当にこのルールがあったかどうか」「運営やミュキャスによる意図した仕掛けだったか」じゃなくて、テニモン自身が「こういうコードがあるんじゃない!?」と当時議論していたことにあるよ。この議論の活性化こそ、テニモンが自分の中にある”テニミュ文化”を自覚してきていることを表しているよ
本文
ミュキャスによる言動
前章で考察した通り、”テニミュ文化”の運営側の自覚・活用=「仕掛け」は、シーズンを追うごとに強まった
その安定化が最も見受けられた最新の3rdシーズンでは特に、仕掛け以外の、ミュキャスによる無意識のもの(と推測される)自発的な言動のなかに、「ミュキャスのなかに”テニミュ文化”が内面化されているのではないか?」と思われるものがある。
最も顕著なものとして、SNSでの発信が挙げられる。第1章でも軽く触れたが改めて整理すると以下の通りである。
内定ミュキャス
テニミュ観劇の報告、テニミュ稽古場での様子、内定ミュキャス同士のプライベートでの食事等現役ミュキャス
テニミュ稽古場での様子、現役ミュキャス同士のプライベートでの食事等卒業ミュキャス
テニミュ観劇の報告、テニミュ懐古、当時共演したミュキャスとのプライベートでの食事等
これらの発信はもはや慣習化しており、既に述べた通りテニモンとミュキャスの間の関係性という側面で”テニミュ文化”の最たるものである。
これ自体は3rd以前のシーズンでも見られることがあったが、それに加えて3rdシーズンにおいて新たに見られたのが、歴代のミュキャスがプライベートで集合し行う「テニミュ同窓会」である。
ただ卒業キャストが当時の共演者と食事を行う様子であれば、3rdシーズン以前にも開催されていた。しかし、それらの食事会は基本的に同じ代のチーム内で行われていたのに対し、「テニミュ同窓会」は参加者の出演代・シーズンを問わず、世代を超えて行われた。
この同窓会の始まりは、2017年1月20日に当時の現役ミュキャスであった9代目乾貞治役・加藤将氏が報告した「乾会」である。
《出典:加藤将(2017)”テニミュブログ 3rd 加藤 将の青学観察日記…02”, 〈https://www.tennimu.com/blog/3rd/entry/33489/〉, 2018年12月31日アクセス》乾役のミュキャス総勢(当時)9名中7名が集結したこの会は、『テニミュ』公式ブログはじめその他SNSにて発信され観客を驚かせた。
更に注目を集めた同窓会は「不二会」だ。「不二会」は2017年11月7日、初代不二周助役のKimeru氏によって発信され、「乾会」と違い歴代の不二役ミュキャス総勢9名(当時)全員に加え、アニメ版で不二役を担当した声優・甲斐田ゆき氏も参加した。
《出典:Kimeru(2017)”不二会 | KIMERUオフィシャルブログ「Shining Days」Powered by Ameba”, 〈https://ameblo.jp/kimeru-days/entry-12326305629.html〉, 2018年12月31日アクセス》この「不二会」の写真そのもののインパクト(人数の多さ)や、不二周助という原作キャラクターの人気度の高さ、そして不二の人気度に結び付いた不二役ミュキャスの人気度などが相まって、「不二会」は当時ビッグニュースとしてネット記事などでも取り上げられた。
この「不二会」を皮切りに様々な形で同窓会が開催され、2018年3月1日に2代目手塚役・城田優氏のTwitterでの「これからテニミュの同窓会」という発言に則り「テニミュ同窓会」という名称が定着した。
《出典:城田優(2018)”これからテニミュの同窓会”〈https://twitter.com/U_and_YOU/status/969190818215993344〉2018年12月31日アクセス》当時こうした同窓会の発信を見た観客はミュキャス同士が演じた原作キャラクターを共通項として世代を超えて交流する様子に感銘を受けた。「ミュキャスと原作キャラ」の関係性を用いたミュキャス間の縦割り的な繋がりと、「テニモンとミュキャス」の関係を用いたミュキャスからテニモンへの発信(ミュキャスらしさのアピール)、この2つの要素の複合として起こった一連の出来事は、ミュキャスと観客の双方に”テニミュ文化”の前提がなければここまで話題にならなかったと言える。
同様のSNS発信の例として、「テニミュ出た人あるある」タグが挙げられる。
これは2018年8月3日に初代亜久津仁役・寿里氏の公式Twitterで本人によって投稿されたハッシュタグである。
内容は卒業ミュキャスがテニミュ出演当時の思い出を振り返るもので、以後卒業ミュキャスを中心にこのタグは広まった。
発信内容の主旨としては現役ミュキャス時代を振り返っての懐古が中心であり、全く新しい種類の情報というわけではなかった。しかし、それまでテニモンはは卒業ミュキャスのSNS発信を見る中で、「ぽろりと」テニミュ懐古エピソードが「過去、あったかもしれない」「今後、あるかもしれない」その時を受動的に待つしかなかった。
しかしこのハッシュタグの作成によって卒業ミュキャスのテニミュ懐古が格段に整理され、発見しやすくなった。
こうした出来事もまた、ミュキャスとテニモンの双方に”テニミュ文化”の前提がなければここまで話題にならなかったと言える。
もう1つ、ミュキャスの”テニミュ文化”の内面化を感じさせる興味深い例として、9・10代目越前リョーマ役・阿久津仁愛氏の役作りに関する発言が挙げられる。
2017年に集英社及び原作の許斐剛氏、NAS、新テニスの王子様プロジェクト、テニミュ製作委員会など『テニスの王子様』に関するすべてのメディアの製作陣を主催に行われた「オールテニプリミュージアム in 京都」企画の1つであるトークショーに登壇した阿久津は、以下のように述べた。
リョーマと一緒に成長がしたいから、現在稽古中の公演より後の原作ストーリーも、先輩方の過去の映像も見ないようにしています。
《出典:阿久津仁愛(2017)「オールテニプリミュージアム スペシャルトークショー」レポ(どなたのレポか不明で本当にすみません…)》
この発言は、単に第1章「ミュキャスと原作キャラ」で紹介したミュキャスの役作りに対する指導(原作を読み込む)と比較すると、矛盾があるように思える。
しかしながら、第2章で述べた”テニミュ文化”の安定に則って考察すると違った解釈が可能である。
「リョーマと一緒に成長したい」という発言は、ストーリー中で成長する原作キャラクターとテニミュの中で成長するミュキャスが2重写しになる”テニミュ文化”を前提としている。
そして「現在稽古中の公演より後の原作ストーリーも、先輩方の過去の映像も見ないようにしています」という発言は、「2重写しの構造を活かすために、自分が越前リョーマとして歩むことになる先の展開についての情報をシャットアウトしている」ということである。
演劇における役者は、脚本に沿って予定調和的に演技を行うものであり、テニミュももちろん例外ではない。
しかしシリーズものの公演としてのテニミュは、一連の原作の物語を対戦校ごとに区切っているため、次回演じることになる公演の脚本に関しては”あえて無知でいる”というスタンスをとることが可能なのである。(〇巻以降は読まない、○○公演のDVDは見ない、など)
この無知の姿勢は、「先にどんな運命が待ち受けているかを知る由もない原作キャラ」と強く結びつけることが可能である。
このような役作りの方法を明言したミュキャスは阿久津氏が初めてであり、そこには(意識的か否かは不明であるが)執筆時点で16年近く続くテニミュの中で生まれ、安定化した”テニミュ文化”が、3rdシーズンにしてミュキャスにより強く内面化されたと解釈することが可能である。
テニモン側のアンテナの活性化
”テニミュ文化”が安定し、意図した仕掛けや無意識のミュキャスの言動など、様々な形でその利用が定着した3rdシーズンでは、テニモンの間にも変化を引き起こした。
それまでも観客は”テニミュ文化”を無意識的に理解し、公演鑑賞やイベント参加など様々な局面でその世界観を楽しむために用いてきた。
しかしながら、この定着により、自身に内面化する”テニミュ文化”の存在を自発的に認識するようになったのである。
その最たるものとして、「王子様コード」が挙げられる。「王子様コード」とは、ミュキャスが次期~現役期間にトークやSNSなどで守っていると思われる暗黙のルールのことを指して、テニモンたちが自発的に使い始めた通称のことである。
具体的には、テニミュ舞台上でミュキャス本人の実年齢を言わない
原作キャラに扮するミュキャスの写真はテニミュ運営によってしか発信されない
現役ミュキャスである期間はSNSでのSNS上での飲酒・喫煙・および変顔の発信を控える
重要なのは、このようなルールが「実際に存在していた」ことではなく、テニモン側が「存在するのではないか」と推測する議論が活性化していた、という点である。
まず、ミュキャスの実年齢に関する「王子様コード」による印象的な出来事を挙げる。
2017年4月に行われた『TEAM Party SEIGAKU・ROKKAKU』トークコーナーでは、「10年後の自分は何をしているか」という質問に対して、自分の実年齢を公表する発言をしたミュキャスは誰一人として居なかった。
更に2018年4月、『TEAM Party RIKKAI』トークコーナーにて「50年後の自分は何をしているか」という質問を受け、3rdシーズン柳蓮二役・井澤巧麻氏の「50年後は74歳」という発言は、DVDなど編集済みの映像ではカットされていた。
これらの出来事から、テニモンは(真偽はさておき)「現役ミュキャスはテニミュ舞台上では実年齢を公表しないというルールがあるのではないか」と推測した。
次に、原作キャラクター扮するミュキャスの写真に見られる「王子様コード」に関する例を挙げる。
ミュキャスのSNSでは基本的に個人が自由に撮影した画像が使用されるが、それらの写真に原作キャラクターに扮したミュキャスの写真は一切見られない。
それに対して、他の2.5次元ミュージカルと比較すると、舞台『弱虫ペダル』 、舞台『刀剣乱舞』、ミュージカル『刀剣乱舞』、『あんステ』などの、テニミュ以外の代表的2.5次元舞台作品の出演キャストのSNSでは、キャラクター扮するキャストを個人的に撮影したと思われる写真が見られる。
この差分からも、テニモンたちは(真偽はどうあれ)「王子様コード」を感じ取って推測し、「テニミュは他の舞台よりも、キャラ扮装オフショットをむやみに出さないよう、世界観を守っているのではないか」という議論につながった。
写真に関する「王子様コード」にまつわるエピソードはもう一つある。2017年10月、Twitter上にて初代桜井雅也役・高木俊氏(卒業ミュキャス)が3rdシーズン日吉若役・内海啓貴氏(当時の現役ミュキャス)と自撮りを撮影し、投稿した。
その投稿に添えられた卒業ミュキャスの高木氏は、投稿の中で「自分は変顔をしたが内海氏はしてくれなかった」という内容を、笑えるエピソードとして言及している。
《出典:高木俊(2017)〈https://twitter.com/shunly317/status/925290623761969152〉2018年12月31日アクセス》それに対して、当時の現役ミュキャスである内海氏は「すみません。現役の王子様なんで。色々な事を守りました笑」と返信したのである。
《出典内海啓貴(2017)〈https://twitter.com/utsumi_akiyoshi/status/925291192266268672〉2018年12月31日アクセス》これらの会話から、テニモンの間で「王子様コード」は「やはり存在するのではないか」、また、それは現役ミュキャスにのみ適用されるのではないか、という議論が活発になった。
興味深いのは、このようなルールそのものは遡ると1stシーズンから見られていたが、しっかりとテニモンから「王子様コード」という名前が使用されるようになったのは3rdシーズンごろからである点だ。
決められた構成員によって舞台公演が行われ、卒業などの学校的システムを持ち、その世界観を守ることに努めるという観点でテニミュと共通点を持つ宝塚歌劇団では、「すみれコード」と呼ばれるルールが存在する。
《出典:山本美貴(2018)”「タカラヅカ共同体」の世界──雑誌『歌劇』『宝塚 GRAPH』におけるタカラジェンヌの表象”〈http://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/4515/KOJ002203.pdf〉2018年12月31日アクセス p31》この「すみれコード」も1990年頃から適用され、それ以前は同様のコードが見られなかったという。
この宝塚の例と同様に、テニミュでもその歴史の中で生まれたテニミュコンテクストを基にコードが生まれ、シーズンを追うごとに整備され、3rdシーズンにしてテニモンから観測され、名付けられたと考えられる。
「王子様コード」以外にも、テニモン自身が、自分の中に内面化された”テニミュ文化”を認識した例が存在する。
第2章でテニミュ配役における仕掛けについて考察した際、3rdシーズン渡邉オサム役に2ndシーズン忍足謙也役・碕理人氏が再起用された件について述べた。
この再起用は観客に革新的なイメージを与えた一方で様々な議論が巻き起こったのだが、この議論の勃発にこそ、テニモン自身による”テニミュ文化”の認識が見られる。
同じく第2章では、”再起用のスパンが短かったため、「忍足謙也役の碕理人氏」という観客のイメージが残る段階で、「渡邉オサム役の碕理人氏」のイメージの上塗りが行われた”と考察したが、このイメージの上塗りが一部の観客の中にある種の違和感をもたらした。
この議論で明確に「文脈」というフレーズが使用されたが、これは本記事シリーズで取り扱う”テニミュ文化”とほぼ一致していると推察される。
碕氏の再起用による違和感を示す際の根拠として、自身の中にある”テニミュ文化”を自覚し、明確に引き合いに出されたのである。
そういった意味でこの碕氏の再起用は、観客の中に無意識的にあった”テニミュ文化”の存在を実体化させる契機となったと言える。
まとめ
第1章では、シーズン全体を通して、テニモン、原作キャラ、ミュキャスのそれぞれの関係性について分析した。
その結果、テニミュの16年近い上演期間の中で、この3者の間に単なる演劇鑑賞とは異なる関係性である”テニミュ文化”が存在することが分かった。
それを踏まえ第2章では、実際に運営によって仕掛けられたと考えられる公演演出に対し、どのような”テニミュ文化”の利用意図あったと考えられるかを分析した。
その結果、1stシーズンで”テニミュ文化”が発生し、2ndシーズンでは安定化していき、同時に運営による意図的な利用が試行錯誤しながら行われた。そして当時最新の3rdシーズンでは”テニミュ文化”が完全に定着し、運営によって前提とされながら利用される側面が増えた。
更に第3章では3rdシーズンでの”テニミュ文化”意識に関して、仕掛け以外の部分で無意識にはたらく例を分析した。
その結果、”テニミュ文化”の定着・内面化に伴い、主にミュキャス、観客の2つの観点において変化が生まれた。
いずれの場合も、それまでは無意識下にあったと思われる”テニミュ文化”の認識が3rdシーズンで強固になったと考えられる。
つまり、シーズンを追うごとにこの”テニミュ文化”は強まり、気づかれてきている。
恐らく今後、この流れを受けて、運営側・ミュキャス側から「より強く”テニミュ文化”をアピールする」/テニモン側からも「より強く”テニミュ文化”を求める・期待する」ことになるのではないかと予測する。
そしてその結果、また”テニミュ文化”のありかたや、運営からの仕掛け方、ミュキャスのふるまい、自意識、テニモンが享受する体験の全てが変化していく
過去文章まとめはこれで終わり。次回は言い訳と、今後書きたいこと。
シリーズ共通:最後に
引用する事実に誤りがあったり、引用元や引用の仕方に問題があった場合、こちらからご指摘ください。
考慮漏れについて散々免責を書きましたが、以下の話とかは参考になるので、これもこちらから、ぜひ聞いてみたいです。(本記事への反映はしませんが、今後いろいろ考える参考にさせていただきます)
思い出したエピソード:「そういえば、○○さんのトークではこんな話を言っていた」など
他界隈の話:「この部分はテニミュだけじゃなくて○○の舞台文化でもある」など
元文章は論文の体裁をとったものですが、論文自体は世間から絶対にアクセスできない場所に永久隔離されているので、似たような論文や記事があっても完全に無関係です。「この論文著者、この記事の筆者っぽい…」と思っても絶対に違うと思ってもらえればと思うので、それっぽい論文著者へのコンタクト等はお控えください!
あと、論文と言っても、査読もなく甘々のレビューだったので、ロジック・ストーリー構成が甘すぎるという点にも目をつぶっていただけると助かります。
長々とお読みいただき有難うございました。続きは以下↓
あとがき:これを再掲した2024年3月時点で、私自身唱えたい異論(本文中で書ききれなかったもの)、今後考えてみたいと思ってることについて