私が明日を生きる理由
「女の子ひとりで大丈夫?」
「変な人に連れていかれたりしない?」
「こんな時期になぜやるの?」
「なんでこんなことしてるの?」
ヒッチハイクをする中で何度も耳にしたフレーズ。
この間、松本市で出会った人とたまたま再会して、ドライブをしてきた。
満点の星空の下で、その問いについて語り合う中でやっとその答えが見つかった。
今年の四月。
私は母を亡くした。
母は、私の憧れであり、目標であり、絶大な信頼を寄せている唯一無二の存在だった。
母は、教師になるのが夢だった。
しかし、家庭や社会に恵まれず、その夢を果たすことができなかった。
母は、過去の後悔、抱えている劣等感、未来への絶望をよく口にした。
そんな母に育てられた私はいつしか、「教師になること」が夢になっていた。
母の夢をかなえることが私の夢であり、
母の理想とするものが私の理想であり、
母自身が生きてきてよかったと思えること、それがが私が日々めざすことだった。
私が生きる理由は、「母がいるから」だった。
そんな母が、この世界からいなくなった。
突然ではなかったから、少しずつ状況を受け止めようととしてきたはずではあった。
しかし私は、文字通り「生きる意味」を失った。
死にたいとは思はない。母が大切に育てたこの命を粗末にするなどできない。
だが、生きる理由がない。
私は明日から何に向かって生きればいいのか。何のために生きているのか。
明日死ぬなら死んでもいいと思っていた。
母の死から早くも4カ月が経ち、なんとなくで始めたヒッチハイク。
どこの馬の骨かもわからない一人の人間を、たまたま見かけたその辺の大学生を、心配して、温かく受け入れ、大切にしてくれる人が日本中にたくさんいる。
どうしてそんなことができる?
絶対に忘れてはならない恩。
大切にしなければならない出会い。
たくさんの温かい人たちへその恩を返すため、あの人にまた会うため、私はこれからを生きるのだ。
私には明日を生きる理由がある。