マウントおじさんのマウント発言をマウントスタイルで批判するマウントメディア
森元総理の発言が炎上している。
今回の発言に批判が集まるのは当然だと思うが、一連の騒動を見ていると、少し前に書いたマウントおじさんという病があちこちに噴出していることが気になった。
マウントおじさんは自らを棚に上げて、立場を利用した上から目線の会話をしてくる。厄介なことに、そのような社会ではマウントされる方もそのことに自覚がない場合が多い。
森元総理がJOCというマウント社会の中心にいることは、今回の発言もそうだし同じ会議での別の発言でも表れていた。わざわざ偉い人を目下の者が出迎えている様子や、そんなことをする必要はないと注意する様子が語られていた。すごくマウント社会なんだろうなと思わされた。
そんなことを考えていたら、今回の騒動をテレビのワイドショーで見ていた知り合いからどの番組も森批判一色でうんざりした、という話があった。それを聞いて、これまたマウントスタイルのマウントメディアという言葉が思い浮かんでしまった。
権力への批判や権利侵害の報道はメディアの大事な役割だと思うが、今のテレビを見ていると、これまた自らを棚に上げて騒いでいるようにしか見えないときがある。
今回の騒動も森元総理をスケープゴートのような構図に仕立てているが、テレビは普段から女性が社会の中でまとっている不自由さとどこまで向き合っているだろうか。オリンピック・パラリンピックという一大イベントの是非に絡んでしまったから大きく報道されたが、日本社会に広く存在する女性を巡る不自由さ自体は、社会全体で向き合わなきゃいけないものだと思う。テレビが今回の発言だけ切り取って大騒ぎして、少しすると忘れたように過ぎ去っていくようでは実にもの悲しい。
社会に蔓延るマウントおじさんという病。僕らが自由になるためには、この病に対峙していかなければならないと改めて思わされたのであった。
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