ベーシックインカムに「自由の礎」(Foundation of Liberty)という新しい定義を与えたい
ベーシックインカムとは何だろうか。その言葉の響きから僕らがまず感じるものは、いくらかのお金が配られるものというものだろう。
ある人はベーシックインカムを最低限の所得保障と言う。最低限ではなくて、普通の生活を保障するものと言う人もいる。実際、世界中で行われているベーシックインカムの実験は生活をどの程度支えるかが前提になっている。
僕もそう思っていた。だから3年前の投稿「全成人に毎月8万円配布のベーシックインカムを提案する」もその前提に立っている。
ただ今は少し違う。
ベーシックインカムは僕らをもっと自由をするためのものなんだ。そのことを何度かに亘って書いてきた。
僕は、ベーシックインカム(Basic Income)に新しい定義を与えたい。
それがFoundation of Liberty(自由の礎)だ。
ベーシックインカムは確かに生活に資するものでもあるが、自由の礎になりうるものとしての考え方が大事だと思う。
僕には思い当たる経験がある。
僕は2013年夏、勤めていた役所を辞めた。心に決めていた政治の道を目指すためだった。
いろいろな理由があった。福島の原発事故対応のど真ん中で3年間心身をすり減らして働いてきた、その中で感じた理不尽。そのもっと前から感じていた社会の不都合な真実。そして世界の不幸を変えたいという思い。
でも役所をやめたとき周りの人たちの反応は芳しいものではなかった。多くの人から白い目で見られた。なぜ安定の役所をやめるのか、ということも言われた。
それでも最後の一押しとなってくれたのは、妻がいいよと言ってくれたからだった。彼女は働いていた。だから生活は自分がなんとかすると言ってくれた。自らのチャレンジのために前に進んでいいと言ってくれたのだ。
僕にとっての自由の礎は、家族だった。間違いなくその支えがなかったらあの挑戦はなかった。
結局、二度の選挙に当選することはなかった。挑戦は成就しなかった。でも挑戦自体には一ミリの後悔もない。世界は何も変わらなかったけど、自分が変わるための一歩だった。
挑戦は辛く悲しく何も生まないこともある。それを支えてくれる存在がどうしても必要だ。その存在は多様なものだと思うし、人によって変わるだろう。
ただ現実には自由には格差が生じている。自由の格差を埋めるために、自由の礎としてのベーシックインカムを考えていきたい。
誰もが前に進むために必要なものとして。それぞれの熱狂を、ほとばしる情熱を傾けるためのものとして。
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