『NO RULES 世界一「自由」な会社、NETFLIX』を読む②~責任をまとった自由を持つ人々が広がっていくためには~
前回に続き『NO RULES 世界一「自由」な会社、NETFLIX』から得た示唆を書いていく。
責任をまとった自由は組織を強くしうるが、その前提はなんだろうか。一般に、小さな組織や立ち上げ当初のスタートアップの人たちは責任感や当事者意識が高いのに対して、組織が大きくなるほど責任感や当事者意識も細分化される。「大企業病」とも呼ばれるやつだ。
大企業病は僕自身もよく経験してきたし、これを克服するのは至難の業だ。
ネットフリックスではこれらを解決するために責任をまとった自由を広げていくわけだが、その大前提として「最高の同僚」をそろえるべきとの主張を展開する。少し引用すると、
・リーダーの最優先目標は、最高の同僚だけで構成される職場環境を整えることだ。
・最高の同僚とは、重要な仕事を山ほどこなし、しかも類まれなるクリエイティビティと情熱をもった人材である。
・ジャーク、怠け者、人当たりは良くても最高の成果は挙げられないもの、悲観論者などがチームにいると、全員のパフォーマンスが低下する。
そして、これを徹底するために「並みの人間」には退職金を積んででも会社をクビにする(「並み」でもダメなのだ!)。解雇規制が強い日本からみればとても無理な話だし、アメリカでもこの姿勢に批判の声があるという。
しかし本書を読み進めていくと、とても興味深いことに、「最高の同僚」の幅はそんなに狭くないのではないかと思われる記述も多数出てくる。グローバル展開先での文化に対する敬意や適応により「最高の同僚」の意味合いが相対化していったり、「最高の同僚」になるためのヒントが様々な場面で提示されるなど、各所に工夫が登場する。
ここまでくると、この「最高の同僚」という大前提は実は成長痛を乗り越えるための方便で、むしろ大事なのは各人が「最高の同僚」足らんとする姿勢とそれを維持するための仕掛けにこそあるのではないかとすら思えてくる。(実際に、クビになる率は同業と変わらないという。)
自らは最高の人材であり最高の同僚に囲まれていると思える環境。そして自信を持って、責任をまとった自由が行使されていく。
確かに、これは強い。
多様性や各人の自信が「最高の同僚」という世界を拡張して、責任をまとった自由に新しい広がりを作っていく。
僕は、この考え方が、ネットフリックスという一つの会社にとどまる話ではないと思う。広く社会という括りでみたときに、「最高の同僚」を僕らは常に欲しているし、みんなそう思っているはずだ。そして、そんな人たちに囲まれて責任をまとった自由を行使していく社会は、とても強いし素敵だと思う。
僕らは、ネットフリックスへの羨望に拘泥する必要はなくて、社会の中で自ら同じ地平を模索することができるのだ。
そんなわけで次回は、本シリーズの最後として、ネットフリックスの世界観を社会全体にまで広げたときに見えてくる、責任をまとった自由な社会像への思いを書いてみたい。
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