えんげき×ジャグリングのコラボを観てきた話

昨日、友人が衣装を担当している演劇の公演を観に行きました。
公演があっている明日までには書いておきたいと思い、急いで書いています。

"違うジャンルをコラボしたところで、おもしろくなるとは限らないよなあ。
たしかに、一見おもしろそうに見えるけど。"
演劇初心者の割に、かなり失礼なことをかんがえながら会場に向かいました。

aube版 銀河鉄道の夜

この劇団の大きな特長は、ジャグリングと演劇のコラボレーション。
気付いたことをメモするために、ノートとボールペンを持って開演を待ちました。

「銀河鉄道の夜」という物語は、星空を電車に乗って旅するという憎いほど素敵な設定とは裏腹に、解釈がいろいろあって、ちゃんと理解しようとするととても難しい作品だと思います。(かく言う私も、学生のころにこの物語を題材にコンサートを作ったことがある)

でも、良い意味ですごく分かりやすかった。かかっていたのは予想を遥かに裏切るロックな曲でした。ロックですよ?宮沢賢治で。ふつう幻想的でファンタジーな曲とかかかってそうですけど。
でも、そのロックが不思議と合っていたのです。ちなみに何故合っていると感じたのか、私にはよく分かりません…。

そして肝心の、「ジャグリング」とのコラボ。
このコンセプトを聞いた時、冒頭に書いたようにそこまで期待していなかったんですけど(何様)、それは、アトラクションとしてのジャグリングしか知らなかったからです。上野公園なんかでよく音楽流しながら、たくさんのボールやピンを落とさずに投げている、あれです。


上野公園のと違うのは、
ジャグリングが登場人物の心情や状況を説明するツールになっている、
ということです。

とくに私が好きなのは、主人公ジョバンニが、他の乗客が車窓からの景色を見て盛り上がっている中、「みんな楽しそうなのにどうして僕だけこんなに悲しいんだろう…」と気分が沈んでしまうシーン。
ジョバンニの抱える孤独と、その悲しみが溶けて「ひとりじゃない」に気づく様子が、ボールなどのモノを使って巧みに表現されていました。その瞬間の私の気持ちは、「すごい!」90%、「なんか悔しい」10%でした。
…いや、自分ジャグリングできんのに「悔しい」ってなんなん。

伝えたい感情はたくさんある。
それを「はい、理解してね」と丸投げせず、それでいて「はい、ここはこういう気持ちなんですよー」と短絡的に表現して狭めたくない。
それを解決していたのが、たぶんジャグリングというツールだったと思うのです。
俳優が何も言わずとも、「モノ」が物語をしっかり分厚く伝えてくれていました。

ほかにも、化石発掘のシーンの身体とセリフ、音楽の掛け合いは楽しかったし、
銀河鉄道の車掌さんは、まっきーが作った衣装と、この世ならざる肢体の動きで、独特なオーラを放っていた。
そして、最後の最後に胸をギュッとさせられる、ちょっとした演出のしかけ。

主宰の方が「観客の負担を最小限にしたい」とどこかに書いていらっしゃったけど、こういうことなのかなあと思いました。


終演後、ノートとペンを握りしめた手の、感覚がなくなっている事に気付きました。メモを取る余裕なんてありませんでしたとさ。

…ひとつだけ注文するとしたら、劇場の壁?にかかっていた時計の針の音がめちゃ響いていた。
…これも演出なのかな…?きっとそうだよね、ジョバンニがカンパネルラとお別れするタイムリミットを表すSE的な、演出的な意図のあるしかけなんだよね…
よし、そう思うことにしよう!笑

aube版 銀河鉄道の夜
公演は明日まで!