#22 大事はものは降って来る
文章を書いていると次から次へと考えが「降りて」来て、自動筆記の状態になる事がままある。よく見直しもせず原稿を送信してしまい、後から訂正を加えて編集長の手を煩わせる事も少なく無い。降りて来る状態とは、自分の書いた言葉に自分の中の何かが反応している状態である。これは怪談でも矢沢永吉の「俺の中の矢沢」の話でも本田圭佑の「リトル本田」の話でもない。
それはフォーラムの際のフロアーセッションのようなものであり、バンド演奏時のグルーヴのようなものでもある。何人かが集まってミーティングをする時、誰かの言葉に触発されて考えが降って来る事は多くの人が経験しているはずだ。これがまさに降りて来る状態で、文章を書く時には自分の書いた言葉に触発されて次の言葉が出て来る。
家庭や友達間のたわいのない会話もある意味「降りて」来る状態の繰り返しで、女性同士の会話などでは見事にグルーヴしている事がしょっちゅうある。「これってこうだよね」「そうそうそうそう!それそれ」男がこれをやると気持ち悪い。
大事はものは降って来る、という話だ。ここまで書いた時に今回のタイトルは「大事はものは降って来る」にしようと思いついた。グルーヴしている。
ミーティングやフォーラムやシンポジウムで意見を出し合う事の価値は、「降って来る」機会が提供されると言う点である。一人で悶々と考えていたのではたどり着く事の出来ないゴールへと、知らず知らず導かれて行く。三人寄れば文殊の知恵、とはこの事である。「論理は破綻しているのに大筋の結論は間違っていないオバさん」という一群の人々がいて、つまりは井戸端会議(「降って来る」機会)の価値を体現した人たちとも言える。
大事はものは降って来る。今回は人が集まる事、人と対話する事は大切な機会であるというゴールへ辿り着いた。
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