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8 島暮らしのしあわせ(2) - 豊かである、ということ -

3年前、沖永良部島で開催された、SDGsに関するシンポジウムには、島内外から100人ほどが参加し、私も参加する機会を得た。前夜祭を終えてホテルへの帰途、シンポジウムでゲスト講師を務める予定の、食環境ジャーナリストの金丸弘美先生とタクシーに乗り合わせた。前夜祭の最中にもビール片手にさまざまなお話を伺っていたので、車中での話もその続きだった。その中で金丸先生は、地域づくりには学究機関との連携が大切だと語られた。かねてから金丸先生の著作にも触れていたので、私はすぐに「ははあ、ジャムおじさんの事だな」と解した。

金丸先生は、総務省地域力創造アドバイザーや農林水産省ブランド化支援事業プロデューサー、内閣官房地域活性化応援隊地域活性化伝道師として、多くの地方の6次産業化に関わって来た。各地で6次産業化の会議をすると、必ず現れるのが「ジャムおじさん」であると言う。特産物を使ったジャムを作ろう、ワインを作ろう、ジュースを作ろう、と。発案者は常に、普段料理もしない「おじさん」たちなのだと。そこで金丸先生は尋ねてみる。「普段、あなたはジャムをつけてパンを食べていますか?ワインを飲んでいますか?」と。そして言う。「食べてもいない、飲んでもいないものを作ってどうします?」と。会議の参加者は主に組合の幹部の「おじさん」、商工会幹部の「おじさん」、役場職員の「おじさん」たちである。

6次産業化で活躍するのは、確かな日常の経験値を持ったお母さんたちである。彼女たちには実生活に基づいた根拠がある。この根拠=エビデンスの有無こそが、金丸先生がタクシーの中で語った「学究機関との連携」という言葉の含意である。車中のエレベータートークとして便宜的に金丸先生は「学究機関」という言葉を使ったが、各地で地域を盛り上げているお母さんたちは、まさに「日常の学究機関」なのである。

思い出したように3年前の話を持ち出したのには理由がある。先日、奄美郡区の大島地域共生・協働推進協議会のオンライン会議に出席した。そこで、2015年から鹿児島県内で地域づくりに携わって来た「まちの灯台阿久根」代表取締役の石川秀和氏の話を伺うことが出来たからだ。石川氏は地域づくりについて、「なぜヒット商品を作ろうという発想になる?もっと根本の課題を見つめようよ」と言った視点を持っている。おじさんの入り口に立っている年齢ではあるが、ジャムおじさんではない。

石川氏の話を聞きながら、私は金丸先生の話を思い出していた。それから今はアフター・コロナの時代であると言うことも。石川氏がこれまでおこなって来た地域づくりは、「日常を豊かにする機能づくり」であって、決して特別なヒット商品づくりではない。

震災やコロナ禍を経て、多くの人が「今」や「日常」の価値に気づいたのではないだろうか。来るかどうかわからない「いつか」のために今を犠牲にするのではなく、充実した今、充実した日常の先にこそ確かな「いつか」がやって来るのだと言う事に気がついたのではないか。それこそがアフター・コロナ的な在り方である。必要なのは特別なイベントや施設や「いつか」のための犠牲 = ビフォー・コロナ的な在り方ではなく、特別でなくとも豊かで充実した今、そして日常なのである。

では「豊かさ」とか「充実」って何? という話になって来るが、それは「今、ここ」に集中する在り方の中で、個々の文脈の中に自然と実感できるものであろう。究極の個別解だ。

「地域おこし」の名の下に様々な試行錯誤があり、失敗があった。いっそ「地域おこし」なんて言い方はやめてしまえば良い。なぜなら、それでは地域が「おこされる」までの過程期間を過ごさなくてはいけないからだ。結果が出なければ予算は霧消し、担当課長の責任が問われるばかりだ。必要なことは今を犠牲にしない、継続的な「豊かな日常の醸成」なのだ。充実した今、豊かな日常の先にこそ確かな「いつか」がやって来る。

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