1 母なし犬
2012年の夏、近所のオバアから電話があった。「あんた犬が欲しいって言ってたでしょ、ウチの弟の所で生まれたみたいだから見に行きなさい」
オバアの弟が畑の物置小屋でミニチュア・ピンシャーを飼っていて、それが子犬を産んだらしい。父犬はわからない。その母犬が数日前、車に轢かれて死んでしまったのだそうだ。生後約2週間の子犬が2匹残された。仕事を抱えている飼い主夫婦が、1日に何度も授乳をする必要のある2匹の子犬の世話をする事には無理がある。
子犬は畑の倉庫で兄弟折り重なるように眠っていた。パーティカラーの弟犬とアプリコットの兄犬。まだ手のひらに載るほど小さい。「早く誰かに引き取って貰いたくて」と作業服姿のご主人は言った。
「生まれたのはいつ?」と聞くと「えー、いつだったかなぁ・・」と心許ない返事だ。横にいた奥さんが「土曜日だったよねぇ」と言うと、ご主人が「先週だったっけかな、あれ、その前の土曜日だったかな」とやはり心許ない。その日が2012年の7月29日だったから、先週であれば7月21日、その前であれば7月14日だ。生後1週間か2週間。それがこの子たちの年齢だ。
その日は家を出る際に背中で聞いた「まだ貰って来ちゃだめよ」との妻の言葉通り、保留にして帰宅した。私としてはすぐにでも1匹連れて帰りたい気持ちだったが、自分の顧望を通す為には他のステークホルダーの要望を一旦聞く態度を見せた方が良い。相手の主導の中で身を返して一本を取る。私の気持ちはすでに決まっていたのだった。