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#サドルと尻と世界情勢

かれこれ15年以上も前、ロードバイクで走り回る事に熱中していた。オートバイではない。あの、ハンドルがキュッとなった自転車だ。職場まで往復30kmを自転車通勤し、土日には早朝ライドと称して60km〜80kmを全力疾走した。2〜3ヶ月に一度は愛知県から岐阜県にかけて200km程度のロングライドに出かけた。若かったのだ。
 
さて、その頃、ロードバイク界隈では「サドルジプシー」という言葉があった。ロードバイクのサドルは基本的に細くて硬い。早く走るために特化した乗り物なのだから、ゆったりとくつろぐ様には出来ていない。乗り始めの頃は痛いが、そのうち尻の方が慣れて「ロードバイク尻」へと変貌して行く。しかしこの変貌を待ち切れない種類の人が少なからずいて、「サドルが合わない」と言って様々なサドルを購入しては「これも違う」と遍歴を繰り返す。
 
この手の人はどの世界にもいる。年末になると来年の手帳に迷う「手帳難民」、高級腕時計を次々と買ってしまい、ついにはオーデマ・ピゲなどの雲上ブランドと呼ばれる物を借金までして購入し、なお飽き足らない人たちなど。この人たちをじっくり眺めていると、いわゆる自分探しをしている若者にも似ている。自分探しをする若者は、社会と自分との関係構築の視点が抜け落ちて自分だけに焦点を当ててしまっているために彷徨(さまよ)う。一方で手帳やサドルや腕時計を追う人たちは、モノだけに焦点が当たり自分とモノとの関係構築の視点が抜け落ちているが故に彷徨う。柔らかな尻がキュッと締まったロードバイク尻へ変貌して行く過程には、サドルと尻との絶え間なき対話、関係構築があるのだ。つまりは「関係性」こそが、モノゴトの良し悪しの本質だ。
 
「自分」とは他者や環境との関係性の中にあってようやく「自分」なのである。宇宙の中にポッカリ浮かんでいる自分などあり得ない。言ってしまえば関係性の中で果たし得る「役割」こそが自分の本質だ。話が逸れているのか逸れていないのかわからないくらい漠然として来た。そう、尻の話だった。サドルと尻との絶え間なき対話。なんだかそぐわない、違和感があると思ったら、すぐに諦めるのではなく、どうすれば良い関係になれるかを探る事が肝要だ。世界情勢の話にまで発展させられそうだが、何だかまとまった様な気がするので、今回はこの辺で終わっておく。

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