12 「俗」を楽しむ
間もなく4月を迎えようとするこの時期、奄美大島のわが集落では主婦たちが集会所に集まってゴキブリ駆除用のホウ酸団子作りをする。作ったホウ酸団子は、分担して集落内の各戸へ配られる。各戸が一斉に駆除をおこなうことで相乗効果が生まれる。ホウ酸団子は海外では「Japanese Housan Dango」としてその効果の高さが知られているそうだ。
さて、奄美には「シマ時間」と呼ばれる感覚がある。飲み会などの開始時刻が予定時刻よりも大きく遅れるような、時間感覚の緩さを言うのだが、同じように沖縄には「ウチナー時間」があり、全国各地にも同じようなローカル時間があるらしい。
大阪と和歌山を結ぶJR阪和線は遅れることで有名だ。アルバイトに遅刻した学生が上司から「もしかして阪和線使うてるか?じゃあ仕方ないわ」と許して貰える。いつも遅れるので、さまざまな人がさまざまな言い訳を考える。「線路内に布団が飛んできた」「柴犬が線路内で立ち往生していた」「運転士がいなかった」等、あり得ない理由をでっち上げて楽しむのが阪和線ユーザーの作法でもあるという。
物事をきっちりと進めたい「公」と、生活のリアルな現場である「俗」の間には齟齬が生まれる。人々は齟齬の空白を何とか埋め合わせ折り合いを付けながら生きている。戦後の闇市はそんな折り合いの姿であり、それが無ければ都会の人たちは生きていく事が出来なかった。その折り合いの姿もまた「俗」の様相である。ある公人は闇市での食糧調達を拒み、ついには餓死した。
「つつがなく生きる、ということに一生を費やすことを間違いだと誰が云えるんだ」とは立川談志の言葉である。そうして談志はいう。「客席にいる周りの大人をよく見てみろ。昼間からこんなところで油を売ってるなんてロクなもんじゃねェヨ。でもな努力して皆偉くなるんなら誰も苦労はしない。努力したけど偉くならないから寄席に来てるんだ。『落語とは人間の業の肯定である』。よく覚えときな」と。阪和線ユーザーの言い訳は、関西人ならではの折り合いの付け方である。眉間にシワを寄せて「鉄道会社はけしからん」と言ったところで自分と周囲にストレスを与えるだけである。業を業として受け入れて楽しむ。それが「俗」というものである。そしてこの「俗」こそが物事を本質的に動かしている原動力でもある。
私自身、さまざまな組織の責任者を経て来たが、相手の出来なさや拙さを責めたところで物事は前には進まない事を、身に沁みて感じて来た。相手の状況をすべて肯定し、受け入れて「そうか、じゃ一緒にやろうか」と腰を上げるところから物事は回転を始める。子育てと同じだ。命令ひとつで何もかも上手くいくのなら、誰も苦労はしない。相手は人なのだ。
ゴキブリ駆除のホウ酸団子作りに対し、かつての私は、市販品の駆除剤が1箱500円で売っているじゃないか、などと考えていた。しかし、いつから始まったのかわからないホウ酸団子作りは、この集落の「俗」の姿のひとつである。ご婦人たちがコスト計算をしてみたところ、やはりみんなでホウ酸団子を作る方が安上がりなのだそうだ。放っておけばゴキブリが繁殖する。そしてホウ酸団子を作る方が安上がりで効果的なのだ。だったら楽しみながらやれば良い。ホウ酸団子一個分をちぎり取るにはペットボトルのキャップを使うとちょうど良いのだそうだ。それで、昨夏からわが妻はハイボールを作る際の炭酸水のキャップを保管して100個ほどため込んだ。「材料を練るのは力仕事だからアナタも来てね」と言われている。今年は主婦らに混じってホウ酸団子作りを楽しんで来ようと思っている。
*今週の参考図書
・『みんなの民俗学 ヴァナキュラーってなんだ?』島村 恭則 2020年/平凡社
・『赤めだか』立川 談春 2008年/扶桑社
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