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#まだフリーランサー

今年は自分周辺の環境を変えてみようかと思ったのは昨年末のことだ。約14年間続けて来たフリーランスシステムエンジニアという立ち位置を辞めてみようかと漠然と考えた。10年以上自分の名前で仕事を受けて、それらをこなして来たことはちょっとしたプライドで、今後も続けて行けない事は無いけれど、広がりが無いよな、と言うのが実感だ。50代も半ばを過ぎたが、まだまだパワーを出す事は出来る。けど30代の時のようには行かない。なるほどこれが歳を重ねると言うことか、と感じている。プレーヤーからのステップアップの時が来たのだ。

ふらりとハローワークへ行きパソコンで自分の経歴やスキルを登録して担当の若い男性に「いかがでしょうか?」と問うてみた。奄美市内ですとこちらはいかがでしょうと勧められるままに応募してみた。書類選考に通り、一次面接に通り、二次面接があると言う。沖縄に親会社を持つ大きな企業だった。二次面接は親会社の社長と技術部門のトップとのオンライン面接だった。

「奄美らしからぬ職務経歴ですな」と言うのが社長の言葉だった。名古屋時代に錚々たる大企業のチームに入れて頂いていた事かな?と想像しながら耳を傾ける。愛知県という土地柄からか、その他のチームでも大企業の案件に携わる事が多かった。当時は早朝に出勤して終電で帰宅し、さらにそこから自主学習をしなければ付いて行けない様な仕事が多かった。そんな経歴が生きた。

「10年以上の営業の経験、店舗運営、アルバイト管理の経験・・プログラマーにしておくのは勿体無いよね、年齢は・・・まだまだ出来るよね」と社長と技術部門のトップが話している。「出来れば奄美のエンジニアたちを取りまとめながら、沖縄と奄美を繋ぐ窓口としての役割をして頂きたい。そういった立ち位置を用意したいが、大きな会社なので今ここで即答する事は出来ない。前向きに考えていますので、もう少し待って下さい」というのが社長の最終的な言葉だった。つまりは未定だ。

何しろやり手の社長なのだから、グイッと持ち上げておいて落とされるなんて事もきっとあるのだろう。まあ、その時はその時なのだ。私はまだフリーランサーのままだ。

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