#45 離れ小島のお山の大将論
奄美市の名瀬と呼ばれる地域が、奄美群島の行政と商業の中心地である。今でこそ人口減少が進み縮小傾向にあるが、人口がピークとなった昭和の中頃には児童数が1,500人を超すマンモス校がいくつもあった。なかでも奄美小学校は昭和33年には1校で2,834名の児童数であった。団塊の世代が小学生だった頃には、きっとどの地域もこのようなものだったろう。
私が島に来た14年前、名瀬育ちの人が「私は都会育ちですから」と口にするのを、冗談だと思って聞いていた。人口200万人以上の都市から越して来た私には、彼の言葉は郷土の田舎ぶりを自嘲したユーモアに聞こえた。しかしどうやら冗談ではなかったのだと気づいたのはずっと後になってからだ。昔の名瀬を知っている人にとって、名瀬は今でも都会であり続けている。
北海道育ちの私は、仙台で学生時代を過ごし、社会人として東京や名古屋で暮らした。地人相関というように、それぞれの土地にそれぞれの気風の人たちが暮らしていた。同じように、奄美には奄美なりの気風がある。かつて島尾敏雄は奄美の人の気風を「排他と団結がにぎやかに共存」「無邪気な事大性」と記した。(『新編・琉球弧の視点から』1992年/朝日新聞社)私の実感もその通りである。無邪気な事大性のもとに排他と団結がにぎやかに共存している。「事大性」とは親分を担ぎ従うことであり、強者のもとで団結して排他に臨む。それらが無邪気な心情のもとで行われる。かつて島に来て間もない私が営業活動に出る際、島人のチームメイトがアドバイスをしてくれた。「地域ごとに親分がいるから、その人さえ押さえれば大丈夫」と。事実その通りで、営業は実にスムーズに進んだ。
無邪気に親分になりたがる人もいて、一度うっかりそのような人に関わってしまった事がある。その時はやはり良い思いはしなかった。何かと自分の強さを誇示したがる態度に辟易して、私はその人からは距離を置いている。
小さな小さな島の中である。所詮、親分になったからとてお山の大将なのだ。そもそも一番強い人とは、誰かに勝つとか負けるとか言ったスキームの外にいる人なのである。相対的な強弱を指標とするお山の大将が、一番強い人になれる確率は、低い。